01.出会い

 

二人にしか見つけられない店が、この街にはある。

とあるテーラーにて。主の姿はなく、男女が二人、何やら話し込んでいる。

 

「………今度さあ、行方不明になった魔術師の売買があるって。あれと無関係じゃないよ、その筋の人から仕入れた話だから。」

金髪にオッドアイ。フリルシャツに細身のパンツ姿のミラは、足を組み頬杖をついたまま話しだした。

「そうか。いつ、どこでだ?」

「その辺は今から裏取りするから、ちょっと待っててくれる?わかったら連絡する。 もう結構経つのにしつこいよね。大きい組織だからなかなか消えきらないね。」
「……時期が近づいているからな。国外からの人の出入りが増える時は必ず動きがある。国外からの渡航者に影響がないといいが」
「あぁ、建国祭?そういえばさ、建国祭の時も―――」
「……迂闊なことを口走るな、ミラ。」

し、と人差し指を口にあてたのは、涼し気な金髪に冷たさを感じさせるアイスブルーの瞳の男。国王直属部隊“ウライオス”の第2部隊を率いるゲラルト・シェズムその人だった。ミラは小声で謝り、店の奥に目をやった。

「……………大丈夫、気付かれてない。 アレのときに怪しい動きがあるみたいだけど、まだ全然情報掴めてないから諜報パパ活(???)続けてみるよ。」

またそんな危ないことをして…とでも言いたげなゲラルトの目線を意に介さず、ミラはワルそうな笑みを浮かべた。

「別口で美少女の売買があるらしくてさぁ、そっち行って金持ち変態おじさんから情報仕入れてこよっかな。ついでに好みの美少女いたら買おうかな~。あ、隊長も行く?」
「管轄外だ。」
「相変わらず冷たいヤツ。市民の安全とかアレとかをアレするのが仕事じゃないの?」
「私は管轄外だが、別にその要員がいる。け……あの時期に向けて、情報を欲しがっていた。」

迂闊なことを言いかけたゲラルトにまたミラがにやつく。

「そうなの?じゃあ、美少女売買の情報はそいつに売ってもいい?」
「有償か?さっき私には言おうとしていただろう。」
「え…、無償なわけないじゃん……。隊長とは目的が同じだから話してあげてるだけ。私の利益にもなるからね。」
「いや、だとすると……。代わりに私が支払えば話すか?いくらだ。」
「さっすが~!話がわかるねえ、隊長様♡ 私、お金もってる男って大好き♡ ……いくら出せんの?私もリスクあるんだよね。まず参加の招待状を奪わないとだしー」
「金額の交渉は後だ。その情報の信憑性について疑問がある。 …私が支払いを拒むとも思わないだろう?」
「安く買い叩かないでよ?アンタはその戦闘力と金持ってること以外に取り柄ないんだから。最低でもこれくらい。 ……いい?」

数え歌でも歌うように指を折って金額を示すと、ゲラルトは返事をするかわりにふいと視線を逸らした。

「場所は追って連絡する。恐らく、お前も知っている人物だ。」
「そうなの? んー、招待状2つ手に入れるのは難しいし、私は出品される側に紛れこもうかなぁ~。愛人役でいけるかな?どっちがいいと思う?」
「私に聞くな。……ミラ、あまり危険な真似はするな。お前は前科が……」
「うっさいな。あんま干渉しないでくれる? また連絡するから。じゃあね。」

最後まで言い終わらぬうちからとん、と椅子から降り、ミラはそのまま店の外へと消えていった。

 

 

歓楽街にも色々ある。ミラが今いるのは所謂裏通りに位置するあまり治安のよくないほうの酒場だ。明るく賑やかな、悪く言えば雑多で騒がしい大衆酒場である。

そんな中に白いブラウスと青いスカート姿という、いかにも清楚なお嬢さんといった装いの女が一人で飲んでいるものだから、周りの者達が時折こちらをチラチラと覗き見している。中には肌の見える胸元やマーメイドスカートのスリットから覗く脚をよからぬ目で見ている男達もいたが、そんなことには頓着しなかった。ミラは人を待っているのだ。

酒場の扉が開いた。裏通り特有の淀んだ空気が一瞬澄んだような気がしたが、外気が入ってきたからだろう。ミラは入口から少し離れた席に座っており、それを横目でちらりと見た。

入ってきたのは背丈の非常に大きな、黒眼鏡をかけたガラの悪そうな男だった。その身を包む黒いコートの形状はゲラルトのそれとは多少違うが、紛れもなく彼と同じウライオス第2部隊の隊員である証だ。
男はレンズの奥から覗く鋭い目付きを覗かせ、こちらを探しているような素振りを見せている。

「なるほどねえ」

隊長の言う通り、確かに見知った顔だった。男は自分のほうを見て笑ったミラに気付いたようで、ゆっくりとこちらへ近付いてきた。

「あんたがそうかい?」

無遠慮な物言いに、ミラは容姿に違わぬ上品な笑みを見せた。

「こんばんは。ええ、そう。私が彼の言ってた情報提供者。…こんな風な女だとは思ってなかった?」
「んーにゃ。どんなやつが来ても驚かねえよ。」

大男は後頭部を掻きながら無遠慮に向かいの席に腰を下ろした。

「あんたはどうなんだよ?俺のことは聞いてンだろ」

黒眼鏡の奥から濃い茶色の瞳が覗く。虹彩と瞳孔の境目がほぼわからず、濁った、のっぺりとした印象の目だ。

「あの人が余計なこと喋るとも思えないでしょう? こんな風に誰かを紹介されるのだって初めてで、私は驚いてるんだから。さ、おにーさんは何飲む?」

ミラは既に赤い液体の入ったグラスを手にしている。彼は口の端をつり上げるようにして笑った。

「必要なこともたまに言わねえからなあの人。あー俺ね、…ねーちゃん!ここでいっちばん高い酒持ってきて!ボトルな!」

男はぐるっと椅子ごと身体を回転させて女の給仕に声をかけると、またミラの方へ向き直った。

「あんた、追加は?隊長の金だから遠慮すんなよ」
「…随分信用されてるんだね。っふふふ、やるじゃん。嫌なこととかどうでも良くなってきちゃった。 私は、まあ…いいよ、そのうちね。ミラって呼んで。仲間内からはそう呼ばれてる」
「ハ、勝手に上司サマの金で酒飲もうって言ってる奴が信用されてんのかねえ。なんだ、ここに来る途中でナンパでもされたか?俺はマベだ。普段からこういうところをうろついてるが、見たことねえか」

じっと見つめてくるミラを、マベが黒眼鏡の奥から見つめ返した。掛けているのはごく普通のサングラスだが、この男は目が見えないはずだ。
確かに瞳に奥行きがなく色の良くない白目をしているが、瞳の動きに異常は無さそうに見える。

「ナンパ程度で嫌になってたら生きていけないし…食事5万だったはずなのにさぁ。お金も貰い損ねるしちょっとヤケになってた」
「そりゃ相手が一枚上手だったな」
「違うよ、相手が常識ないエロオヤジだっただけ」

だから先に飲んでたんだよ、と言う代わりにミラはグラスを持ち上げた。マベの問いに言葉を続ける。

「名前は知ってる。どういう人なのかは、……偏った情報なら持ってる。仕事の中身までは知らなかったけど、そっち関係なんだね」

何度か瞬きをしたあと、ふと視線を逸らした。マベは詳しく聞いてこなかったが、大体想像がついているような顔をしている。偏った情報という言葉に黒眼鏡の奥の目が笑った。

「甲斐性なしのボンクラ野郎って呼ばれてんじゃねえの?」

ちょうど給仕が酒を運んできたので互いに視線が逸れた。マベは立派な酒瓶を手に取り透明の液体をグラスに注ぐと、軽い調子で乾杯の仕草を見せてきた。ミラは短く溜息をつく。

「私だって一応初対面の人に配慮するくらいの心は持ってる。誰になんて言われてたかは黙っててあげるよ」
「そうかい。ま、大体検討はつくからいいわ」

乾杯の仕草にはちゃんと合わせた。少し首を傾げながらの仕事感のある笑顔に、マベも笑顔を返しながらグラスに口をつけた。

「…で。美少女売買に興味がおありで?」
「おう、大アリのアリアリよ。ジャンル不問、でかい会場から個人取引まで幅広〜く受け付けておりますってな」

ミラは大きな目をぱちくりとさせて、またじっとマベを見つめた。

「ん~……? えっ念の為聞いとくけど買うほうでも売るほうでもないよね??取り締まる側であってる???」
「今さら何だよ?隊長から聞いてンだろ?必要がありゃ女衒のフリでも客のフリでもするけどな。…それで?お前さんの握ってるネタは?」

マベは買うほうか売るほうかに近い顔をして返してきた。
フリどころの話ではない、その治安の悪さに思わず笑ってしまう。

「なんか今日あって見たらちょっと自信なくなっちゃって。 今回のは適当に女の子売って太客見つけといて、次、建国祭の裏でやる大規模なオークションに招待するって算段だと思う。泳がせとくのもアリだと思うけど、それはマベさんのやり方に任せるよ。私は金儲けと情報収集に行くだけだから」
「おいおいどういう意味だよ。ウライオスは全員隊長みたいな人間だとでも思ってたか?」
「アレのほうがレアケースなのはわかってる、けど、……。」

頬杖をつくミラにマベは可笑しそうにグラスの中身を飲み干した。流れるような動作で二杯目を注ぐ。

「……まあいつも通りっちゃいつも通りだが、そろそろ徹底的に潰したいんだよなァ。毎回毎回、国挙げての行事の裏でコソコソやられるのにいい加減飽きてきちまってさ」
「建国祭のほうは今回かなり大規模にやるらしいよ。そっちは私の本命でもあるから気合い入れていくつもり。 今回の前哨戦、は、これ」

ぺらっと2つ折りの厚紙を取り出す。はずみで落としそうになったのを両手で挟んでキャッチした。マベはもう二杯目を空にしてしまうところで、落としかけた紙をミラが両手でキャッチしたのを見て睨むように目を細めた。

「……おい。酔ってんのか?気をつけろよ」
「何でもない。 建国祭の方は単なる変態おじさんだけじゃなくて、えーと。まあ、そっちは隊長も行くんじゃない?」

明らかに何か知っていることを誤魔化したのだが、マベは「そうかい」とだけ言って3杯目の酒を注ぎ呷った。

「招待状は1枚しか手に入らなかった。……今日、ちょっと無理すればもう1枚掠め取れたかもしれないんだけど。仕方ないね」
「あんた、よく初対面の俺にバカ正直に話すな。そこはもっとカッコつけていいんだぜ?一枚ありゃ十分だ。」
「それはあの人が決めることだし、私は知らない……っていうかさ、そのペースで大丈夫?……美味しい?」
「考え事してるとペースが早くなるんだよ。酔わねえから安心しな嬢ちゃん」

半分ほどになったグラスをゆっくりと回すマベの目の前でぺらぺらっと紙を動かした。

「隊長の頼みだから多少無理してやってんの。無理やり奪い取るとかやめてね。」
「…あんた、あの人とよほど仲が良いんだな」

マベがぽつりと呟くように言った。

「仲がいいってわけじゃないけど。何だろ…………まあ、ビジネスパートナーかな」
「その一枚ってのは誰の分?」
「私の分だけど? どうしてもって言うんなら方法は無くはない……商品のフリか愛人のフリかどっちがいいと思う?」

ミラはへらへらと笑ったが、目のほうはあまり笑っていない。マベは静かにグラスをテーブルに置いた。
黒眼鏡の奥の淀んだ目を細めた一瞬の間、ミラは店内の空気が動いたような錯覚を覚えた。

「………俺についてこれんのか?あんた。」

口振りからマベが招待状を奪う気なのだと悟り、ミラはふっと息を吐いた。

「あんたも結局そういうヤツなんだ。……まあ、別にいいけど。好きにすれば。」

目を伏せ気味にして、手のひらをテーブルにつけるようにして招待状をパタリと置いた。その行動にマベは非常に怪訝そうな顔をして「は?」と声を出した。

「お前が誘ったんじゃん、商品と愛人どっちのフリがいい?って。二人でお手々繋いで敵の懐に潜り込もうって話だろ?それはいいけど、モタモタしてたら置いていっちまうぞって話だよ」

ミラは驚いて顔を上げた。その目が本気なのを認めると、驚きそのままに首を傾げた。

「……変な人」

ミラがマベの立場なら力ずくで事を運んでいた。すっと手のひらを前へ動かし、目の前に招待状を差し出す。
マベは酒瓶を取り、空になっていたミラのグラスに透明な液体を注いでやった。

「鬼みてえな上司に紹介された情報屋ァぶん殴ってどうすんだよ?俺には女をいたぶる趣味は無えし、商売女にしか手は出さねえから安心しな」
「それもそっか。その上司は人をいたぶる趣味あるのにね。私も何度かされそうになってるし」
「俺が持ってていいんだな?後でやっぱやめた、はナシだぞ」

ミラはグラスの中身をぐっと飲み、顔を顰めた。…薄めず飲むような代物じゃない。

「 後でやっぱやめたって言わないように、渡しとくの。私は気が変わりやすい、……から、……。」

マベは自分のグラスの残りを飲み干すとまた注ぎかけて、さっきのミラの言葉が気になったのか手を止めた。

「…あの人になんかされたのか?……とりあえず、作戦としてはあんたと俺のペアで…肩書は、……。」

少し喋ってから、マベはミラが心ここにあらずといった様子で固まっているのに気が付いたようだった。

「おーい。酔ったか?」

目の前で手のひらを振られてミラははっとした。

「へ?あぁ、ごめん。ちょっと考え事っていうか…別のもの見てた。 出会った頃は色々ね。刀抜かれたことあるよ、あの、文字通りの意味でね?肩書きは…別になんでもいいけど。都合のいいように設定してくれたらそれなりの格好していくから……」
「おいおいまさかの下ネタかよ?」

文字通りの意味という言葉にマベが口の端をくっと歪ませた。

「やだー、ナニとは言ってないし~」

ミラもふふ、とつられて初めて普通の人らしい笑顔を見せた。幾重にも張られている緊張の糸が、ようやくほんの少し緩んだかのように見えた。

「別のモノ見てねーで俺のほう見とけ、あの人にゃ負けるがこんな酒場じゃ珍しいくらいのイケメンなんだからよ。…まあそうさなァ、年格好で考えるなら俺は客であんたはその女ってのが自然か。イヤなら別の案にするけどよ?」
「何それ、自分で言う?まあ別にヤじゃないよ。イケメンだし連れて歩く価値はある。……マベさんさぁ、彼女いないよね?大丈夫?」
「俺のこと知ってるなら、色恋沙汰はあんたの知ってるそれが全てだよ」
「あー……うん、それならいいの。私、そうと決まったら徹底的になりきるから、逆に嫌ならそう言って」

ミラは急にぴと、と人差し指をマベさんの唇に押し当てようとした。ちょっと黙っててね、とでも言いたそうな仕草にマベは固まり、指先とミラの顔を交互に見つめた。

「ねえ、場所変えよ。さっき入ってきた客、こっち見てる。私が来る前は”この席に座ってたみたい”だし、変じゃない?」

ミラの言葉にマベは変な顔をした。その顔を見てミラも同じような顔をした。

「あれ?あの人…私のことも何も話してないんだ?」
「なんか話してたっけなぁ?…よし!二人きりで飲み直そうや。俺も結構イイ感じになってきたしな」

マベががたんと大きな音を立てて立ち上がった。足元がなんとなくおぼつかないのはミラの言葉を受けての演技だろうと思いたい。

「つけられてたのかな。ただのストーカーなら別にいいんだけど。……そうだね。もうちょっと打ち合わせしときたいし2人きりになれるとこ、行こっか。」
「お前、俺の前に会った奴の時と同じ格好して来たのか?」
「だって着替え持ってきてないし。あ、ちょっと待って」

当たり前のようにミラはマベの腕を掴んで立ち上がろうとする。10cmはあるであろうハイヒールを履いているが、本当に酔ってるのかと思うほどしゃんとしてる。

「……次は相手ごとに服を換えな。つけられると厄介だぜ」

マベが低い声で囁いた。酔いが回っているように見えるが、掴まれ引っ張られてもしっかり立っている。

「今日はそもそも先約が罠だったのかも。話に乗らなくてよかった。何か、……おかしい。 ねえ、置いてかないでよ、絶対」

置いていくなと言ったミラの声色は先程とは違っていた。お願いというより、どこか命令に感じる不思議な声だ。

「……置いてくわけねえだろ。大事な商売相手だぜ?向こうさんが襲い掛かってきたら俺の後ろに隠れてな。全員秒でぶっ飛ばしてやっから」

相変わらずマベはおどけたが、目は笑っていない。ミラはマベのそんな様子に悪女らしい満足気な顔で笑った。

「ふふ、そう来なくちゃ。存分に利用させてもらうね♡ さあ、つまんない話は終わり!どこ行く?」
「あー、楽しそうなカオしたねェ?んじゃちょっと行った先の俺の馴染みんとこにすっか。あそこなら会員制だから邪魔は入らねえ。」
「まあ何でもいいけど。そっちが誘ったんだから、ちゃんと楽しませてよ。」
「おう。そこならあんたも面白い話が聞けるかもしれねーが…まずは酔い覚ましからだな。歩けるか?」
「私つついたって面白い話出てこないけど、まあ、今後の振る舞い次第では話すかもね。 えーっ、歩けなーい♡……って言ったらお姫様抱っこでもしてくれんの~~?……しないでしょ。早く行こ」

ミラのテンションがやけに高くなっている。表情をころころ変えながら、置いていくなと言ったときとは打って変わって妙に明るい。そんなミラをマベは黒いレンズの奥からじっと見つめ、何か呟くと、転ぶんじゃねえぞと自分の腕を顎で指してみせた。
むぎゅ、と遠慮なく掴んだ腕にミラの妙に固い胸が当たった。…作り物の胸だ。

「……なあ。後で下品なこと聞いてもいいか?」

そこを見つめる生温かい視線に気付いたミラは舌打ちした。

「答えるかどうかは知らないよ。そういうのは、もっと私を酔わせてからにして」
「いや舌打ちすんなよ、そんな格好しといて。酔わせないといけないような際どい話じゃねえんだけどな…あくまで一般論っつうか…」
「はいはい、そうですね、こんな格好で胸強調して歩いてる私が悪いんですね、……知らない」

不機嫌さを一気に加速させたミラはマベの腕からするりと離れ、先に歩いて行ってしまった。マベは当たり前のように支払いもせず出入口に向かい、給仕も声をかけてこなかった。
ミラが歩いていくのを何人かが目で追い、席を立とうとした者もいたが、後ろからゆっくりとついてくるマベの存在に思い留まったようだ。彼女を舐め回すように見ていた男も黙って静観している。

「おいおい道わかんねえだろ?一人で先に行くなよ」
「怒られるようなこと言うからでしょ。ばか」

ゆっくりと歩いてくるマベに一瞥もくれずに、ミラはさっさとドアの向こうへ消えてしまった。バタンと勢いよくドアが閉められた。

「………。悪かったって…」

彼女の姿が見えなくなってからバツが悪そうに頭を掻き、ドアの前までやって来ると、マベは急に店内を振り返った。その黒眼鏡の奥の目がミラや自分を目で追っていた者、席を立ちかけた者を順繰りに捉えていく。濃茶ののっぺりとした瞳は見えない先を鋭く見つめ、その表情は今の今とは打って変わって……

「……びゃっ!!!」

店の外、よろけてコケたらしい音が悲鳴とともに聞こえてきた。その盛大な物音にはっとして表情が緩む。

「……ああ?オーイ!大丈夫かー?」

気が抜けた声をドアの向こうにかけながら、マベは大きな背中を見せて店の外に出て行った。

一瞬、店の空気が変わった。鋭い風が客達の間を吹き抜けていき、マベの睨みに固まっていた者達は思わず店の奥を見やった。単にドアを開けたときに吹き込んだ風だったのかもしれないが、ウライオス第2部隊きっての悪漢であるマベ・マヘスをよく知る者は、彼の得意とする魔術を知る者は、果たしてこの中にいただろうか。

いたとして、しかし彼等がそうと感じる前に、それはすぐに裏通りの淀んだ空気と喧騒に掻き消されていった。