その日は天気のよい祝日で、珍しく通りも活気づき賑やかだった。
窓から差し込む光に照らされた店内に、明るい声が響く。
「ほんとよく生きてたね、絶対死ぬと思ってたよ。」
芽吹いた葉を思わせるような淡い緑のジャガード織りのワンピースに身を包んだミラがぱっと振り返ると、腰についた生成のアンティークレースのリボンと、空気を含んだロングスカートがひらりと美しく円を描く。
その先には気だるそうに頬杖をつき、視線だけでそれを追うゲラルトが座っていた。
「私もそう思っていた。」
短く答えたゲラルトは、例のお決まりの白と黒のつまらない制服ではなく、ゆったりとした紺色のトップスに濃いグレーのボトムスという、いつも以上につまらない服装だった。姿を見るなりミラから、部屋着で来るな、いつもの方がまだマシだなどと好き勝手に言われたが、全身を怪我していてひとりで着替えることさえままならない状態で何とかここにやってきたのだから仕方がなかった。
国の機関で働く治癒士たちの力をもってしても治しきれないほどの怪我を負い、何日も戻らなかった意識がようやく戻り、少しは動けるようになってすぐここに顔を見せにやってきたというのに、酷い扱いだった。
「もう傷の方は大丈夫なんでしょうか。」
「大丈夫ではないが、いずれ回復する。」
「早く治るといいですね。隊服のほうがまだマシですし……」
ホフマンからも服装について重ねて文句を言われたゲラルトは、二人を視線で追うのをやめ、短く溜息をついた。
隊長の役職についてからというもの、あの黒いコートに袖を通さない日はほとんど無かった。一旦の目的を達成して久しぶりの長期休暇をもらったと言っても、怪我がひどく安静にしている以外にすることがないし、出かける度に着飾って歩くミラとはそもそもの価値観が違っている。
ゲラルトは、いつの間にか近づいてきたミラが頬をつつくのも全く無視して、ちらりとも見ようとしなかった。その様子を暫く不満そうな顔で見つめたミラは、両頬を両手で挟んで強引に自分の方へ向けた。
「真っ先にここに来なかったのはどうなの?さすがに薄情じゃない?」
「瀕死の状態でトドメでも刺したかったか?」
ゲラルトが鳥籠から戻ったのは、夜が明ける頃だったという。
大量の出血と痛みで意識は朦朧とし、まともに口が聞けるような状態では無い彼が無意識に帰った先は、ホフマンの店ではなく別の場所だったらしいと後から聞かされた。そこで適切な処置が行われたことで一命を取り留めたということだから、回復できる人の居ないここを選ばなかったその判断は間違ってはいない。どちらかと言えば正しかったと言える。
しかしそうとわかっていても、ミラは不満を抑えることが出来なかった。決してその理由を言わないミラの横で、それは思わぬ形で伝えられることとなった。
「違いますよ、ミラはゲラルト様のことを心配するあまり、一睡も…」
「帰るとこが別にあったってことだよね、羨ましいこった」
ミラが手をぱっと離し、強引に話題を変えるのを見て、ゲラルトは珍しく少し驚いた顔をした。心配などされているはずもないと思っていたのに、自分と似て素直でないミラがホフマンの前でそんな振る舞いをしていたのかと思うと、案外悪い気はしなかった。そして、生きて帰ったことを真っ先にここへ伝えに来なかったことを、ほんの少し申し訳なく思った。
ミラはバツが悪そうに小さく舌打ちをしたあと、半ば睨みつけるような視線をホフマンへと送ったが、ホフマンは全く気にしていない様子でふたりのやりとりを眺めている。
「ホフマンは大丈夫なのか?」
「ええ。カナリアの力が消えても、まだここにいられるみたいです。体調は良好ですし、今日も変わりなくミラとゲラルト様が美しくて心も絶好調です。」
ゲラルトとミラは顔を見合せた。会話をしてもろくに視線を合わせないふたりがこういうときだけ示し合わせたように同じ反応をするのは、どこか通じあっているところがあるからだろうが、それを指摘したところでこのふたりが肯定するはずもない。
ホフマンが何か取りに店の奥に向かったのを見て、二人は同じように少し首を傾げてから、頷いた。
「大丈夫そうだな」
「大丈夫じゃないとも言うけどね」
ミラは、鏡を見ながら羽飾りのついた帽子をかぶり、頬にかかる髪を耳にかけるかどうかなどを真剣に悩んでいる様子だった。それをぼんやり眺めていたゲラルトは、その金の羽飾りを見て、ふとあの暗い坂道でミラと話した時のことを思い出す。
「そういえば、カナリアとの約束というのは何だったんだ?」
「約束は果たせたよ。あんたは鈍いから一生気付かないと思うけど。」
「またそれか。お前はいつもそういう言い方をするな…」
店の奥からいつの間にか戻ったホフマンが、ミラの顔を覗き込み、頬にかかる髪を一筋すくって耳にかける。その毛先の巻きを指でくるくると整えると、ミラもホフマンも満足そうに微笑んだ。
「隣が私で良かったのですか?ゲラルト様の方が適任では……」
「えー、目立ちすぎる。」
「またそんなことを。お二人はとてもお似合いですよ。」
「だって隊長は――」
「ホフマン。お前は人間がきちんと認識できるようになったんだろう?いつまでもミラが一番なんて寝ぼけたことを言うな。」
今度は無理やり話題を変えたゲラルトを見て、ミラがにやりと笑った。ホフマンはそれを見て、ふふ、とおかしそうに笑った。
ホフマンは幸せだったある日を思い出していた。
その時も三人でこんな風に、なんでもないようなことで笑いあっていた。そのときが戻ってきたようだ、と思ったところで、ホフマンはその考えを否定するかの如く、軽く首を振る。
きっと、今はもっと幸せだ。
自分を理解し、ほどよく距離を保ってくれるこの二人が、ホフマンは何よりも大事だと思った。今度こそは幸せにしなければ。また三人で生きて出会えたら、あの時言えずに後悔した言葉を、今度は惜しみなく二人に伝え続けるのだと心に決めていた。
「おや、心外ですね。どれほどの人と出会おうと、私の最愛の人はミラ、そしてゲラルト様しか居りませんよ?」
「悪趣味だな」
「ほんとそれ。」
二人が笑った。
それが冗談では無いことを二人は知っている。始め気味が悪いとさえ思っていた仕立て屋のこの台詞が、前よりずっと心地よいものになっていた。
「そういう訳ですから、ミラの準備が整うまで、久しぶりに思う存分お身体を堪能させてくださいませんか?」
「言い方がよりいっそう悪化してないか?おいミラどこに行く。」
「準備してこよーっと♡」
わざとらしくニヤニヤと笑いながら店の奥に消えていくミラを見送って、ホフマンが軽く手を振る。
「冗談ですよ。怪我が酷いのに、触ったりしませんから。」
ホフマンは少し遠慮がちにゲラルトの髪先に触れたあと、優しくその頭を撫で、でももうこんな酷い怪我はしないでくださいね、と小さく呟いた。
その目に涙が滲むのを見たゲラルトは、誰にも見せたことがないような優しい顔で笑って、何も言わぬままゆっくりと頷いた。
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誰かが誰かを幸せにするために選んだ道が、全て正しいわけでは無い。
この選択が正しかったかどうかもわからない。
それでも私達は決断し、1歩前に踏み出した。
過去という籠の中から抜け出して、私達はようやく自由に生きられるようになった。
それはなんてことも無い、今そばに居る誰かの存在を、ここで生きる自分の存在を確かに認めることだった。
誰しもが心に持つ秘密の鳥籠。
その扉もまた、認識によって開かれるのだろう。
—end