15.刀の記憶

いつものように、ゲラルトの傍にはミラが座っていた。
ミラは何をするわけでもなく、時折ため息をつきながらぼーっと考え事をしているだけで、思考や行動を邪魔する訳でもない。ただひとつ問題があるとすれば、ここが例の店の中ではなくゲラルトの自宅だという事だ。

「ミラ、そろそろ帰れ」
「は?帰るとこないからいるんだけど」
「ホフマンの店は?」
「んー。」

ふと隣を見ると、ミラはなんとも言えない複雑な表情をしていた。ミラは仕事中であれ、普段であれ、こういう顔を見せることはあまり多くはない。
表情の裏に隠れた感情が何なのかは理解できないが、その名を出したときの何ともいない歯切れの悪い返事から、どうやらホフマンが関係しているのは間違いないとゲラルトは察した。そして、どことなく気まずそうな空気を感じ、それ以上詮索するのをやめた。

「今日は誰も来ないんだからいいでしょ?」
「人の予定を把握するな。」

ミラが無言で机の上に置かれたものを指差す。

「書いてあった。楽しそうで何よりだね。」
「……。」

また思いがけず人から”楽しそう”だと言われたゲラルトは少し驚いて、咄嗟に返事が思いつかなかった。それらしい答えを用意できなかったゲラルトは、肯定も否定もしないまま、まったく違う話題へと切り替えた。

「そういえば言いそびれていたが、小鳥と接触した」
「ふーん……」

ミラはどこか上の空なまま適当な相槌を打ったあと、ぼんやりと首を傾げた。
ミラにとってこの上なく大事な話題なのに食いついて来れない程とは、よほどの出来事でもあったのかと心配になり、ゲラルトは隣のミラの顔を覗き込んだ。ようやく理解したのか、ミラがはっと勢いよくそちらを向いた。

「えっえっえっ、ついに研究所の中心部に入ったの?」
「いや、ホフマンの店で……」
「は!?なんでそういう重要なこと言わないの!?」

先程までのぼんやりした様子が嘘かのように、興奮したミラが身を乗り出すようにしてぐいぐいと迫ってくるのを、ゲラルトは肩を押して制止した。その表情は驚きが七割、残りは不満と言ったところだ。
あえて黙っていようと思った訳では無く、ホフマンの店では常にホフマンかエルが起きていて、話すタイミングが無かった。そもそも、この二人には起きたこと全てを話す約束があるわけでもないのだから、こんな風に責められる筋合いもない。

その間もミラはゲラルトに対する不満をあれこれ並べていたが、その言葉は彼の耳にはあまり入っていなかった。
なぜと言われれば、その答えは簡単だった。

「お前とは手を組んでいないからだ」
「もしかして、根に持ってんの?」

左右色の違う特徴的な大きな目が、瞬きもせずゲラルトをじっと捉えた。感情的になったミラは、いつもこういう目をして相手の心を乱そうとする。
そういう関係ではないという事実を言っただけなのに、少し拗ねた様子のミラはそれを言ったところで納得しそうになかった。
ゲラルトは言い訳を考えかけたところでそれをやめ、なるべく端的に事実だけを伝えることにした。

「新月の夜だけあの店に出入りできるらしい。ただし、ホフマンの身体に乗り移った状態だが。」

ミラは驚いた顔をしたまま固まっていた。
つまらない言い訳を言おうものならすぐに反撃しようと待ち構えていたところに、あまりにも予想を超えた答えが返ってきて、何も言い返すことが出来ない。

「いつから?」
「あの店に出入りするようになった直後だ」
「関係があるとは確信してたけど、まさかそんな……」

ミラはわかりやすくがくりと項垂れ、またゲラルトを責めるような目で見つめた。ゲラルトはわざとらしく一度ため息をついて、そのミラの目を同じように見つめなおす。

「お前も、ホフマンが亡霊だと知ってて言わなかっただろ?」
「まあそうだけど。」

ゲラルトがそのことを知ったのは、なぜホフマンの店にいるのかとエルに尋ねたとき、死んだホフマンに取り憑いたという主旨の話をしていたからだった。エルの話には筋の通らない点が多いため、その全てが事実かどうかは疑わしいところではあるが、ホフマンの件に限って言えばどうやら事実らしい。彼は、食事や睡眠を必要としていないからだ。

「建国祭で嫌な目にあって、やーっとカナリアに接触できそうって段階の私の身にもなってよ」
「カナリア?」
「ん、そう名乗らなかった?」

ミラは考える仕草をしていたが、その心はさしずめ”どう振る舞えば最も自分に利益が有るか”といったところだと、さすがのゲラルトももう気付いていた。
その答えを導き出したらしいミラは、やっと視線を上げる。

「手を組んでやってもいい。でも、一つだけ条件がある。」

二人の視線がぴたとあった。

「あんたがアレに執着する理由をまだ聞いてない。」

もっと大それた条件が提示されると思っていたゲラルトは、そんなことかと拍子抜けしていた。
ミラの言う通り、二人は目的が同じである以外のこと――、この件に関わっている理由を互いに口にしたことが無い。二人にとっては結果が全てで、そこに至る個人的な事情など全く意味の無い情報だったからだ。
なぜそれを今更知りたがるのかとゲラルトは少し不思議にも思ったが、理解し合えない人間だからこそ、その過去に興味があるか、もしくはその思考に興味があるか、理由はそんなところだろうと深くは考えなかった。

果たして何からどう説明すべきか、ゲラルトが求められているものへの答えをあれこれと頭の中で整理している間も、ミラはじっと視線を外さなかった。

「私はあの施設の被検体だった。そこが発端だ。」
「やっぱりそうなんだ。」
「その後、私が父親と呼ぶ人に救われたが、その人もあの中で殺された。どういう最期を迎えたのかさえ知らない。」

ミラは急に顔を逸らすと、暫く黙り込んだ。
そこにどんな感情が含まれていたのか読み取るのは難しかった。哀れみだとか、悲しみだとか、そういうありふれたものだったのかもしれない。

「つまりは、単なる復讐心だ。」
「ありきたりな理由。」
「なにか不都合なことでもあるか?」
「いや、意外と人間らしいとこあるなって」

ミラは少し落ち着きがない様子でそわそわと足を組みかえたり、指先を動かしたりしていた。何か言いたいことがあるのだと直感したゲラルトは何も言わずにその言葉を待った。

「建国祭の時の借りを返してないからさ、」

ミラがいつになく真剣にゲラルトの顔をじっと見つめた。

「私が見てあげようか。あんたの父親が、どうして死んだのか。」

その言葉は甘く手招くように心を誘う。
しかし、先に見えるのは残酷な結末だとわかっていた。

まるで悪魔の取引のようだ――

ゲラルトはそう思った。それでも、心につっかえた鉛を吐き出すにはその糸を掴むしかない。静かに頷くと、ミラもまた同じように頷き返した。

一度目を伏せ、大きく息を吸って吐いたミラが、黒い刀へと手を伸ばした。
ゲラルトがその不安げな指先に手を重ねると、ミラはもう一度静かに頷き、目を閉じた。




白い壁、白い床。
単なる白い四角い箱のような部屋。

中央には首輪のついた少年、そしてその目の前には黒い刀を持つ男が立っていた。
痩せ細った身体に不釣り合いなほど大きな、硬く黒い手足。少年が普通に産まれてきた子でないことは明らかだった。

肩で息をする彼の目には確かな殺意と、同時に絶望の色が見えた。
目の前に立つ男をただ見つめたまま少しも動こうとしないのは、もはや敵いはしないことを理解し切っているからだった。

「そんな目をするなって。別に、お前を殺しに来たわけじゃあない。」
「いいや。こっちは、あんたに殺されるか、あんたを殺せずに研究員に殺されるかのどっちかしか選べない。」

男は少し考えるような素振りを見せた後、静かに頷いた。
その間も構えた刀の先は少しも動かず、そこにはただ一瞬の隙も無かった。

「そうか。確かにそうだ。」

そう言った男は、少年の首筋に刃先を向けた。
その刀は、なんの躊躇いもなく真っ直ぐに振り下ろされ、少年は固く目を瞑った。

金属が床を打つ鋭い音がした。

少年が恐る恐る目を開けると、その足元には、先程までつけていたはずの首輪が落ちていた。
はっと視線をあげると、目の前の男はにんまりと笑っていた。

「逃げたところで、役目を果たせなかった不良品は殺される。どこまで逃げたって同じだ。」
「生き方は選べる。大事なのは選ぼうとするかどうかだ。お前はどうしたい?」

思いがけない言葉に少年は目を見開いたまま、立ち尽くした。
意思を持たずに育った少年にはその問はあまりにも難しく、答えらしい答えを見つけることができない。
唇をぎゅっと噛んで指先が震えるのを押さえ込もうとするその様子は、未知との遭遇に怯える子供そのものだった。

男は、少し目を伏せて笑った。
その穏やかな濃紺の瞳の奥には、確かに遠い過去の日の光景が映し出されていた。

「でも……」
「でも、何だ? 俺はもう選んだぞ。」

少年には選択肢など無かった。
どうせ死ぬなら、今ここで一瞬のうちに切り殺されるのが良い。
少年はありったけの敵意を男に向けた。
その鋭く尖った爪先が触れることすら叶わないと知りながら。

――鈍い感覚がして、少年ははっと顔を上げた。

痛みの代わりに、少年の腕を生ぬるいものが伝っていく。
その感覚にぶるりと体が震え、少年は自分がモノではなくヒトであったことを、その瞬間にはじめて自覚していく。

少年が目を見開いたまま、ぎこちなく視線をあげると、男はまた笑っていた。
鋭い爪先が貫いた体、その痛みを少しも感じさせないその顔は優しさに充ちていた。

「……生きたいんだろ?」
「違う、」
「ほら、役目は果たした。もう自由だ、どこへでも行ける。」
「ちがう、僕はただ、」

血にまみれた手を凝視しながら、少年は立ち尽くしていた。
その手に残る生々しい感覚に体の震えが止まらない。

膝をついた男は静かに目を閉じ、持っていた刀を差し出すと、何か小さく呟いた。
その言葉は掠れていて、少年の耳にやっと届くほどの声だった。

なぜ自分が生かされ、男は死を選んだのか。
床に倒れ込むその愚かな人間の姿を再び見ることができずに、ただその傍らに落ちた黒い刀を掴んで、少年は扉の外へと駆け出して行った。

――生かされた理由を、
なにか理由を見つけなければ。

少年が消え、白い部屋には落ちた首輪と血の匂い、そして動かなくなった男だけが残された。



糸が切れた操り人形のようにミラの体から力が抜け、がくりと倒れ込むのを、ゲラルトが咄嗟に抱きとめた。

ミラの過去視は現在から遡って見え、その体力の消耗は想像よりも遥かに大きいらしい。
この刀が5年の間に積み重ねてきた記憶を全て辿り、その先にようやく彼の記憶を見つけたのだ。それがどれほど残酷で見るに堪えないものであるかは、ゲラルト自身が一番よく理解している。ミラの額や首筋に滲む汗が、それを物語っていた。

その背中を軽くさすると、ミラは大きく息を吸って、吐いて、気だるそうに顔を上げた。

「あの人、死ぬのを選んだんだ。そこにいた子どもが、自分を殺さないと殺されるって知って」

ミラが静かに語り始めた。
ぽつりぽつりと吐き出す言葉は僅かに震えている。

「あんたと重なって見えたんだ。だから大事なものなんて持つと……」
「ミラ、いいんだ。」

狼狽えるミラと対称的に、ゲラルトの心は驚く程に穏やかだった。

「何がいいの?」
「うまく説明できる言葉が見つからない。私とあの人の間だから、わかることなんだろうな。」

彼は、自分の生き方を貫き通した結果、死んだ。
それは彼が望んだことで、彼が望んだ以上は誰が何を言おうとその意思は曲げられない。彼がそういう人間だったからこそゲラルトは尊敬していたし、皆からも愛されていた。
その尊い姿は、心の中に今もなお鮮明に残る彼の姿そのものだった。

「……あの人らしいと思ったからだ。」

ミラは目を伏せて、一度だけそれを拭った。
彼女の中に残る断片的な彼の記憶もまた、恐らくゲラルトの描く姿とそう違いはなかったのだろう。
彼がもう少しだけ自己を優先する人であれば、今とは違った未来が見えていたかもしれない。しかし、あの日のゲラルトは、そういう人だからこそ彼を信じて生きられたのだ。

「ごめん、ありきたりな理由だなんて言って。」
「自覚はしている。」

ありきたりな理由という言葉にゲラルトが少し笑う。ミラは見てわかるほどにはっと驚いて、照れたように顔を背けた。こんな風に笑うところを見たのは初めてだったが、それは想像していたよりもずっと柔らかで、優しかった。
ミラはつまらぬ意地を張って首を縦に振らずにいたことが馬鹿らしく思えて、気付けばふと口を開いていた。

「私さ、今度、客人のフリして中心部に入るんだ。」

ゲラルトが言いかけた言葉を制止するように、ミラは首を横に振る。

「大丈夫、必ず記憶を持ったまま帰ってくるから。」
「わかった。……報告を、待っている。」

ミラは一度こくりと大きく頷いた。
そして次に顔を上げたときには、心配は無用だと言わんばかりに、いつもの悪そうな笑みを浮かべていた。