11.駒の使命

いささか広すぎると感じるほどに広い部屋の奥、美しく飾られた椅子に座った女性。
うっとりと微笑むような表情は、咲き誇る花々のように瑞々しく初々しいものではないが、歳を重ねてもなお美しい。何とも表現し難い魅力をたたえているその女性は、表情と所作を見るだけでも、この上なく特別な存在だということが簡単に窺い知れる。

「貴方、最近、楽しそうね。」

女性はその正面、少し離れたところに居る男に投げかけた。

「楽しそう、ですか? なぜそのように思われるのでしょう。」

女性の前には、珍しく黒いコートの上に正装用の軍帽とマントを身につけたゲラルトが片膝をついて座っていた。この国の中、ゲラルトがこれほど仰々しく敬意を表さなければならない人物は、国王陛下の他には居ない。
ゲラルトはその言葉がよほど意外だったらしく、少し間の抜けた返事をした。

今、この広い空間にいるのは、たった二人だけ。
ゲラルトは国王陛下が二人きりで話したいと言っていると人伝いに聞き、この場へやってきた。珍しく正装なのはそういった理由があってのことだったが、どんな重要な案件で呼ばれたのかと思いきや、最初に飛び出たのが先ほどの一言だ。

仕事であれプライベートであれ、ゲラルトは表情を大きく変えることはない。よく知った間柄の人間にさえ、無愛想、怖い顔、と評されることのほうが圧倒的に多く、楽しそうなどと人から言われたことは久しく無かった。ゲラルトは少し困惑したような様子を見せながら、その意を問う。
国王は少しだけ笑って、視線を遠くにやった。追想、まさにその言葉が似合うようなゆったりとした所作だったが、その目が一体どんな過去を見ているのか、ゲラルトにはおおよそ検討がついた。

「あらあら。私たち、一体どれほど一緒に居ると思っているの。」
「入隊して14年が経ちました。」
「そう。だから見ていればわかるわよ。」

ウライオスが国王直属の隊であるのは周知の事実だが、皆が思い描くような王族の警護などの華々しい仕事は別の隊が行っているために、ゲラルトが国王と共に行動する機会は決して多いわけではない。ゲラルトの仕事はもっと血なまぐさく、今目の前に座っている気品溢れる女性が見るべき現場ではない。
ゲラルトはその全てを見透かしたような顔を内心不思議に思ったが、確かにこの部隊で過ごす14年という時間は決して短いわけではなかった。
過酷な任務が多く、大抵の隊員は長くは続かない。自ら辞める者もいれば、戦える体ではなくなる者、命を落す者も少なからずいる。実際、入隊してから十数年の間に、多くの隊員たちが隊を去っていった。
過去に大きな転機を経験してもなお、ここに留まり続ける決心をしたゲラルトの姿は、国王の目には珍しく映ったのかもしれない。

「そういうものですか。」
「そう。貴方が鈍すぎるのよ、ゲラルト。」

鈍いと言われ、ゲラルトは黙ったまま、その単語について考えを巡らせる。
仕事に関しては常に注意を払い、任務遂行において遅れをとるようなことは絶対にないが、どうやら周りの評価は自身の認識とは違っているらしい。今のように「鈍い」と言われたことは一度や二度ではない。
決して鈍いのではない、気付いたところでそれを表現する方法が見つからないだけだ。ただ、周りはそれをもそのたった一語で言い表そうとする。
ゲラルトが次の言葉を出さないのを見ると、国王は上機嫌に微笑んでいたのが嘘かのように、急に冷めた表情に変わった。

「あれからずっと、貴方の時は止まっているみたいね。」

ゲラルトの透き通るようなアイスブルーの両の目が、優雅に座ったままの国王を真っ直ぐ捉えた。冷たい印象を与えるその目が瞬きひとつせず、そうとは口に出さずに否定の意を表していた。
ゲラルトは返す言葉を慎重に選んでいるのか、しばらく押し黙った。

「時は常に流れ往くものです。」
「どうかしら」

長考ののち発せられたゲラルトの言葉に対し、国王の答えはひどく簡潔なものだった。その簡潔なひと言だけで自分の発言を完全に否定されたゲラルトは、返す言葉が見つけられない。

「彼をいつまでも越えられないのはどうしてか、よく考えてみなさいな。」
「絶え間ない訓練でしょうか。あるいは、」

国王はそこで、言葉を遮るような仕草をした。
一見穏やかそうに見え、ふとした仕草に含まれる有無を言わさぬ圧が、いかにも国王らしい威厳を表しているようだった。実際、たったそれだけの仕草で、ゲラルトは先に用意してあった言葉を全て飲み込んでしまった。

「貴方の使命は何か、わかっているわね?」
「ええ。」
「貴方は駒。」

ゲラルトはぴたと動かず、その言葉を受け止めた。その様子は、改めて言われずともそうと理解していると答えたのと同義だった。与えられた任務は人ひとりが背負うには重すぎるほど重いが、全て理解した上でなければ、隊長の座には就いていない。
少なくとも、楽しそうなどと嫌味とも取れる言葉をこの場で投げかけられている場合では無い。そういう雑念は判断を鈍らせる足枷でしかない。己の心を削り、自我を殺し、命を犠牲にしてでも、ゲラルトはは、”彼”がついに果たすことの出来なかった使命を果たさなければならない。

「駒は何のために戦うのかしら?」
「使命を果たすためでは。」

ゲラルトはそこに含まれる真意が読み取れず、少し乱暴な答えを返した。

「意思を持つ駒でなければね。」
「駒ごときに、意思を持てと仰るのですか」
「使命を果たすのは何のため? 死者が死んだという事実は変えられないわよ。」

ゲラルトは驚いたような、悲しいような、複雑な表情で国王を見つめた。
国王はその先の答えがないことを大方察して、短く息を吐いた後、またにこりと笑った。

「貴方が人付き合いするなんて珍しいわね。しっかりなさいね、ゲラルト。」

ゲラルトは内心酷く驚いていたが、それを一欠片も顔に出さなかった。まだこの人にさえ言っていないエルの存在について既に知られているのかと思ったが、その後に続く言葉から、どうやらそのことでは無いらしいとわかると、静かに長く息を吐いた。
ゲラルトは無意識に、目の前の彼女が求めているであろう答えを探す。

「ええ。任務に支障の出ないよう、監視を――」
「あら。貴方、やっぱり鈍いんだから。」
「…………はい?」

この短い間に二度も鈍いと言われたゲラルトは、その理由がわからず、また間の抜けた声を上げた。僅かに首を傾げ、眉をひそめ、どういうことかとあれこれ考えるが、まるで正解は見えない。もしかしたら、ここで正解を見いだせないところがそう言われる所以なのだろうかと考えていると、その様子が余程おかしかったのか、国王は上品に口元に手を当ててくすくすと笑った。

「あなたはまだ死んではいけないわよ。死ぬのは、使命を全うしてから。」

困惑していたゲラルトは改まり、胸に片手を当てて答えた。

「ええ、心得ております」
「使命が1つとは限らないのだけれどね。ほら、もう下がっていいわよ。」

ゲラルトは二度も鈍いと言われたことが腑に落ちない様子で、何度か少し首を傾げながら、部屋を出ていった。