05.もう1人の客人

「それ、正気で言ってんの?」

ミラは思わず声を上げた。
目の前にいるホフマンが手を止めて、珍しくはっきりと驚いた表情を見せていた。普段から気性が穏やかとは言えないミラではあるものの、こういう風に無闇に人を責めるような言い方をすることはそう多くはない。ホフマンが言ったある言葉が気に入らなかったらしいが、彼自身はその理由が思い当たらず、咄嗟に言葉を返すことができなかったようだ。

「知らない男が来たのを店に入れて?そいつにまた会いたいって?ちょっと待ってよ、いつもの招待制はどうしたの?」

捲し立てるように喋るミラの勢いに押され、ホフマンはますます気まずそうな顔になっていく。眉をハの字に曲げてすっかり黙ってしまった彼の様子を見て、ミラははっとして目線を逸らした。ここはホフマンの店なのだから彼の好きにすればいいことくらい、ミラにもわかっていた。わかった上で、納得することが出来なかった。
ホフマンは客が去った後、例の招待状を使って必ず自分と客の記憶を消している。本来なら客のことを覚えているなんてことは絶対にありえないが、彼の言うとおりその客のことを覚えているとすれば、”掟”を彼自身が破ったということに他ならない。

ミラはここの存在を、まだ誰にも知られたくなかった。
この異様な空間が自分にとって特別な意味を持つと”既に確信している”からこそ、目的を果たすまでは、まだ他の人たち――、特に”向こう側の人間”には荒らされたくない。
今ここの存在を知っているのは体を張って例の恐ろしい過去を覗き見たミラだけ、ホフマンが覚えているのも人間もミラだけなのに、それを知らない男にいとも簡単に破られたかと思うと、なぜかわけのわからないモヤモヤとした気持ちが湧き上がってくる。

ミラがあからさまに不機嫌な顔をするのを見て、ホフマンは何度かもごもごと言葉を飲み込んだ後、機嫌を伺うかのようにおそるおそる言葉を紡いだ。

「もちろん、いつもならそういったことはしないのですが……、鍛え上げられた体はつま先から頭の先までたいへん美しく、そして冷たく澄み切ったアイスブルーの瞳。何をとっても完璧な方だったので、つい魔が差して……。」
「目が、なんだって?」
「アイスブルーの瞳で、凛々しい顔つきの、たいへん美しい方だと。」

ミラはしばらくホフマンの目を見たまま、瞬きもせずに固まっていた。その理由がわからないホフマンは、また不思議そうな顔をしていた。

「顔、覚えてるの?他の人たちのことは顔の認識すら出来ないのに?」
「ああでも、ミラの美しさはこの上ないのですよ?一番美しい女性だと心から思っております。」
「そこは気にしてないから大丈夫。そもそも母数が1人なんだから、私が一番だろうね。」

ホフマンは都合の悪い質問をされると、無意識に全く関係の無い話題に切り替えてしまうこと、そこを更につつくと話の流れがおかしな方向へ向かってしまうことを、ミラはよく理解していた。しばらく頭を抱えていると、目の前にすっとハーブティーが差し出される。ふわりと立つ香りが鼻を抜けていく。顔を上げると、ホフマンがミラの様子を心配そうに見ていた。

「普段と違うことは、しない方が良いでしょうか」
「いや、君の好きなようにすればいいんだけど」

ようやく落ち着きを取り戻したミラは、静かにカップに手をかけ、ハーブティーをひと口含んだ。ここでの目的を達するまで、誰にも邪魔されるわけにはいかない。
場合によってはホフマンが再び出会うまでに相手を消さなければならないとなれば、情報はなるべく多い方がいい。そう考えたミラは、話がこじれない程度にホフマンから情報を引き出すことにした。

「その人、どんな人だったの?」
「長身で黒いコートをお召しになっていました。刀を下げていて、……たくさん怪我をされていました。」
「それだけ聞くとかなり怪しいね」
「でも、お名前を教えてくださいましたよ。ゲラルト・シェズム様と言うそうです。」
「ほぇっ!?」

思いがけず知った名が飛び出したところで、ミラは無意識に特に意味の無い言葉を発し、ホフマンの顔を見たまま固まってしまった。
黒いコートに刀、長身、アイスブルーの瞳、確かにホフマンが言った名のその人物の特徴と、ぴたと合致する。

「もしかしてご存知なんですか?」
「まあ……」

ゲラルト・シェズム。
国王直属部隊”ウライオス”、第2部隊隊長の座に着く男の名だ。

この国に住むものであればウライオスの存在を知らない者はいない。国王の傍でその護衛や執務の補佐をする栄誉ある煌びやかな隊というのが国民の多くが抱く印象だが、第2部隊は少人数でありながら、この国の軍を持ってしても敵わないと言われるほど高い戦闘力を持つ部隊だ。その仕事領域について一般市民で知る者はほとんど居ないが、ミラのような裏の仕事をしている者で知らない者はいない。
冷静、冷徹、歴代の魔術師のなかでも特に秀でた戦闘力をもって、不都合なものは何の躊躇いもなく切って捨ててしまう男。もちろん、いい噂はほとんど聞いたことがない。

「……扱い方を間違えると厄介だな」
「え、何でしょう?」

ミラは落ち着かない内心を隠し切ることが出来ずに、無意識にこつこつと音を立てながらティーカップを爪でつついていた。
そのような立場にいる人が、誰の目にもつかないこの店にたどり着いたのは、きっと偶然ではない。互いの追っているものが同じなのだとミラはすぐに勘づいた。
ホフマンの記憶が残っているということは、彼の記憶も残っているに違いない。それでもまだここにやって来ないということは、彼はこの店に掛けられた不思議な力の影響を多少は受けていて、ここを覚えてはいるが入ることは出来ないのだろう。きっと既にここを張っている。ミラは自分の存在が知れるのも時間の問題だと思った。

「うまく誤魔化すか、あるいは――」
「ミラ、もしかしてなにか悪いこと企んでますね?」
「いやあ、そんなことないよ。ふふ……、」

ゲラルトはその立場柄、ミラには集めることの出来ない情報をたくさん持っているはずだ。それを引き出すことが出来れば、或いは、と様々な可能性を考えながら、ミラは思わずこみ上げた笑いを隠そうともしなかった。
国王が信頼を寄せる人物が、地を這いつくばって生きる女に利用されるところなど誰が想像するだろう。考えただけでもおかしく、ミラはまた笑い声を漏れそうになるのを口元を抑えて制した。

どう転ぶかはわからないが、ひとつ確かに言えるのは、それほど遠くない未来に事態が大きく動き出すという事だ。

「会えるのが楽しみだねぇ、ホフマン。」
「え?ええ、そうですね。」