ほの暗い部屋の中、
響くふたりの笑い声、
人知れず進んでいくふたつの駆け引き。
「さっきの話の続きなんだけれど、」
品よく輝く照明、置かれた優美な調度品、ひとつの隙もなく整った部屋。
その中央、ひときわ豪奢な作りのベッドの端に、女性がひとり座っている。
彼女はオーバードレスを脱いだ白いワンピース姿でもなお、特別な環境で生まれ育ったことが容易に想像できるほどの気品を纏っている。この世界を包む空気の上澄みのところだけを吸って生きてきた無垢で曇りのないその瞳がきらきらと輝く。それが単に部屋の明かりを反射しているからなのか、これから起きることへの期待感からなのかはわからない。
「彼、たまに変なことを言っていたわ。」
少し首を傾げるような思わせぶりな仕草をしながら彼女が向けた視線の先には、中性的な顔立ちの“青年”がいる。
出窓に軽く腰掛けるようにしてぼんやりと窓の外を眺める彼の仕草は、彼女のそれとは対照的だ。話の途中でときおり静かに笑う彼の横顔はどこか物憂げで、言い表しがたい魅力を持っている。
彼女が喋り出したのにあわせてふと顔を向け、目を細めて微笑む。
彼は短い言葉で答えた。
「変なことというと。」
「誰にも止められない、皆それを望んでる、みたいなこと。」
「ふーん、そうなんだ。」
彼女は記憶を辿るように暫くうつむき加減に黙り込んで、またふと顔を上げた。
「小鳥に出会ってしまったからって。」
「……小鳥?」
彼女には捉え切れないほど僅かな変化。
一方的に喋り続ける彼女の話を聞いていた彼の表情が、始めて変化した。
彼女から飛び出したたった一つの単語に対する興味関心。ただし、それを察するには彼女は少し世間に疎過ぎた。
「珍しい言い回し。何の比喩なんだろうね。」
「わからないわ。お会いしたのはその時が最後だったから。」
「体調を崩されていると聞いたけど、もう結構長かったかな。」
「どのくらい前からだったかしら?」
暫し静かな時が流れた。
彼女から次の言葉が出ないことを凡そ察した彼は、視線を外して短く溜息をつく。
「それにしても、僕みたいなのを招き入れるなんて、君は少々無用心なんじゃないかな?」
突然そう切り出した彼は、窓にもたれるのをやめ、ゆっくりと歩を進めて彼女に近づく。毛脚の長い絨毯を敷いた床にくぐもった足音が広がった。
絹糸のように滑らかで細い彼女の髪に触れ、彼は優しく、そして悪戯っぽく微笑んだ。
「いいのよ、私が望んだのだから。」
「君のような高貴で美しい女性に望まれるほどの者でもないけれど。」
「お話する度に思っていたの。私、あなたと、」
そこから繋がる言葉は想像に容易い。
彼は彼女の言葉を制止するように、身を屈めてその額に柔らかなキスをする。一度きゅっと目を瞑った彼女が再び目を開けると、そこにはまた、優しさと穏やかさだけに満ちた彼の笑顔があった。
「冗談だよ。本当なら僕は、君のような高貴な女性には指一本触れることさえ許されないのだから。さあ、君の酔いも冷めたみたいだから、そろそろ、」
「冗談じゃなくていいの。つれないこと言わないで、一緒に居たいのに。」
「そう言われると困ってしまうね。酔ったっていうのも演技だったのかな。してやられたね、困ったお嬢さんだ。」
袖口をぎゅうと掴まれた彼は、参ったという風に大袈裟に肩をすくめてみせたあと、片方の手を彼女の頭の後ろに回した。そのまま身体を支えながら、自身の身体で少しずつ押すように、ゆっくりと後ろへ。
鼓動が高鳴る彼女を他所に、彼は何でもないように冷静に唇を重ねる。甘い香りに包まれた彼女は、満足そうにとろんとした表情を浮かべた。
「演技じゃないわ。だってふわふわして、なんだか眠たいの…。」
「疲れたんだろう、今日はもうおやすみ。」
優しい彼のぬくもりに包まれて、彼女は眠りに落ちていった。
…
彼女が眠りについた後、勝者は果たして。
「“僕”とは会えないけれど、悲しまないで。小鳥についてそれ以上知らないなら、もう君に用は無い。」
彼女の愛した”彼”はもういなかった。
代わりにそこにいたのは、中性的な顔立ちの女が一人。
冷えきった何の感情も無い目が、彼女をただただ見下ろしていた。
バタンと荒っぽく閉まる扉の音。
そこには彼女の穏やかな寝息だけが残された。