マベはとある人身売買組織に突入し、最後の一人と対峙していた。まだ若く、どこか影のある穏やかそうな青年だった。犯罪結社の間で狂犬と呼び声高いマベを前にしても、彼は怖気づくことなく、どこか虚ろな顔で佇んでいた。
「聞かせてください。あなたには怖いものはありますか?」
「……怖いもの?」
繰り返すマベに青年は頷いた。
「やはり、そんなものはないのでしょうか。狂った犬と呼ばれているあなたには」
「いいや。あるさ。お袋のマジの説教は心にクるぜ?」
その答えにはは、と彼は笑って目を細めた。マベも黒眼鏡の奥で目を細めたが、二人の表情は全く違っていた。青年は、本当は笑っていない。その瞳の奥にあるぐらぐらと沸き立つ溶岩のような感情をマベは感じ取っていた。答えてやろうと思った。
「話してやるよ」
青年の顔から笑顔が消えた。マベは静かに語り始める。
……俺は当時、別の組織を追っていた。そいつらは若い男女を専門に扱う、変態御用達の人身売買グループだった。
金持ちの中にはな。恵まれ過ぎてキ◯ガイになる奴がいるんだよ。金で人の面殴ってゴネりゃあなんでも思い通りになると勘違いしたゴミクズどもだ。お前にも覚えがあんじゃねえか?
そういう連中がこの世の全ての娯楽に飽き飽きして、最後に求めるのがアッチのほうのご趣味だ。………そうだ。まともなヤツならやらねえような変態プレイをよ、見たりヤったりさせたりして退屈を紛らわせようってのさ。とっととおっ死ねばいいのにな。
ま、そーゆーワケで需要と実入りは腐る程あるッてンで、その組織も客の要望に合わせてそりゃァひでえことをしてたのよ。器量のイイ奴がいると聞きゃあ都会だろうが辺境の村だろうが足運んで、はした金と引き換えに連れてきた年端もいかねえガキどもにそれはもうえげつねえ”教育”を施すんだ。男も女もねえ。客の要望とありゃ、醜い出来損ないでも連れてくのさ。
逃げ出せば大勢で狐狩りだ。連れ帰ったらお待ちかねの拷問タイムさ。それすら客の見世物にしてたってんだから、どれだけクソみてえな連中だったか想像つくだろ。
俺達が突入した時には随分な数の人質が汚れた牢屋に押し込められていやがった。金回りがよかったくせに、商品の手入れは必要最低限だったんだろう。みんな顔だけは綺麗なのに、栄養状態が悪くてよ。ひどい”調教”を受けて歩くのもやっとの子どももいた。今から話すのは、その組織をぶっ潰した時のことだ。
「マベさん!!そいつで最後です!!」
後方から隊員が叫んだ。そこは郊外の山間に建てられた、連中の隠れ家の庭先だった。
「わかってらア」
マベは一瞥もくれずに、得物のミリタリーナイフの切っ先を前方に向けた。刃先が太陽の光を反射しても瞬き一つせず、濃淡のわかりにくいのっぺりとした瞳で目の前の敵を睨みつけた。金持ち相手にここで生業を行っていたのだろう、樹木で日の翳る庭には濁った水に落ち葉が浮いた豪奢な噴水が造られ、首から下だけの悪趣味な彫刻が所狭しと飾られていた。そのぼやけた視界の先に、白い服を着た長い髪の少女が喉元にナイフを突きつけられながら立たされている。
「武器を捨てろ、さもねえとこの娘を殺すぞ」
少女の背後にぴたりと寄り添うようにして立つ男が下卑た笑みを浮かべた。背の高い痩せぎすの、顔色の悪い男だった。焦りの滲む手が震え、少女の喉元に今にもナイフの切っ先が刺さりそうだった。
「諦めな。逃げ場はねえよ」
「煩い!マベ・マヘス……、”札付きの狂犬”めが!お前が殺した◯◯◯は俺の弟だ!」
「はァ……?」
聞き覚えのない名前にマベはナイフを突きつけたまま首を傾げた。
「ついこの前、お前達が潰した✕✕✕にそんな名の男がいただろう!?」
✕✕✕。つい最近、分隊を率いて壊滅させたとある組織の名だった。
「……覚えてねェな……。」
「お前にとっては、数ある標的の一人だったんだろうが、おれにとっては、た、たったひとりの、血を分けた兄弟だったんだ!!」
男のナイフを持った手が震える。少女は憔悴しきった顔をほんの少し仰け反らせただけで、ほとんど抵抗しない。マベは不愉快そうに目を細めた。
「仇討ちしてえならタイマンで来いや。テメエの弟はンな卑怯な真似はしなかったぜ」
「嘘をつけ!覚えてもいないくせに!」
男はヒステリックに叫び、少女を抱え直した。その顔や白い服は泥にまみれ、両手両足には足枷がつけられていたのだろう、青黒い内出血が痛々しく残っていた。
「クソ野郎の名前なんざいちいち覚えてッかよ」
ぎり、と歯噛みする。庭にいた連中をあらかた倒した仲間達が駆けつけてきたが、自分の背後で皆一様に立ちすくみ、緊迫した面持ちで男と少女を睨んだ。10代半ばだろうか、この場には似つかわしくないほど整った顔立ちには、あどけなさが色濃い。マベの持つナイフの切っ先をぼんやりと見つめる彼女の足の付け根から一筋の赤い液体が伝い、裸足の足元までゆっくりと落ちていった。
「兄弟揃ってクソ野郎どもめが……」
血の匂いで真っ先に”それ”を察したのだろう、マベの怒りは頂点に達した。緩やかな風がその場を流れた。頬を撫でるような不自然な感触に男だけが顔を顰めた、その刹那、マベの姿は忽然と消えていた。
「何処だ!?」
男が周囲を見回しながらやや後ろに身体の重心を反らした。その頭上から突然降ってきたマベの強烈な踵落としが男の首横に杭のように打ち込まれる。鈍い音がして、男の痩せこけた身体がよろめいた。
……あァ?ソイツの弟?
……覚えてたよ。面が瓜二つだったからな。
…見えないくせにって思うか?……そうだよな。
ああ、殺しちゃいねえよ。弟も兄のほうも、気絶させて本部の取締室にご招待したさ。俺は皆殺しは好かねえからな。
……続き?………そうだな。
お前さんが知りたいのはそっちのほうだろ?
男は倒れなかった。痩躯にしてはタフなのか、大きくよろめいて少女を離しはしたものの咄嗟に下半身に体重をかけて持ち直した。予想外のことだったが、マベは顔色一つ変えずに左手を伸ばし、今にも倒れそうな少女の細い手首を掴むと自分に向かって引き寄せた。
「しっかりしな。もう大丈夫だ」
腕の中の少女はぐったりとして、虚ろな目でマベを見ているようだった。男を捕縛しようと駆けつけてきた隊員の一人に少女を預け、男のほうに向き直る。右手に持ったナイフを構え直そうとした時、すぐ近くであっ、と誰かが叫んだ。その声に気を取られた瞬間、何か大きな柔らかいものが右腕にぶつかってきた。
強い衝撃に二度襲われ、マベは二つの目を大きく見開いた。
青年はずっと、苦々しい顔をして聞いていた。語り終えたマベは静かに切り出した。
「……お前、あの子と関係があるんだろ」
「……わかった上でその話をしたのか」
「ああ」
「どうしてわかった」
「”匂い”だ。お前からは、あの子と同じ匂いがする。」
マベは続けた。
「その子が飛び込んできたんだよ。ナイフを持った俺の手を掴んで、女とは思えない力で、刃を首に向けて、息を止めて、………一瞬だった」
そこで言葉を区切ると、小さく息を吐いた。
「身も心もボロボロに傷つけられてよ。最後の力を振り絞ったんだろうな。……死ぬためにな。」
「嘘だ」
青年が唇を震わせ、こちらへ向けたナイフの切っ先が僅かに揺れた。鈍く光る刃先を見つめながらマベは続けた。
「俺の最も恐れるものはな。守るべき相手が自ら死を選ぶことだ。どれだけこっちが命張ろうが、守られる奴に生きたいという気持ちがなけりゃどうしようもねえんだ。……思い知らされた」
「そんな言い訳が通じるものか!」
マベの言葉を遮るように青年が叫んだ。
「あの子はお前に殺されたんだ……札付きの狂犬、マベ・マヘス!!あの子がどんな気持ちで死んでいったか、お前にはわからないだろう!?」
「……ああ。……わからねえな」
そのどこか虚ろな声に、彼ははっとしてマベを見返した。マベは濃淡のはっきりしない瞳に何かしらの感情を滲ませ、青年よりもっと先にいる誰かを見つめているようだった。
「お前、わかるか?助けたはずの人間が自分の腕の中でみるみるうちに血塗れになっていってよう。今際の際に凄く綺麗な顔して笑って、死んでいったそのワケが。」
「………………」
「焦る俺に向かってよう。悲しそうに、申し訳なさそうに、優しい優しい笑顔見せて死んでったんだ。……俺にはわからねえ。なんで、救えなかった俺に笑った?………教えてくれや」
「………あいつは、」
青年は二の句が継げず、ぶるぶると手を震わせた。ナイフの切っ先が激しく揺れたが、マベはどこか遠い目をしたまま立ちつくしている。
「お前の言い分は正しいよ。俺があの子を殺しちまったんだ。あいつを一撃で仕留めてりゃ、仲間に任せて得物なんざしまっときゃあ、あの子が命を絶つのを止められたかもしれねえ。ぜんぶ、俺の弱さだ」
「………………」
「やれよ。一撃だけ受け止めてやる。その後お前を捕縛する。」
「馬鹿にするな!動くなよ、心臓突いて、一息に殺してやる!」
「そうか。憎む相手に苦しむ隙も与えねえたァ、随分優しいな。―――そうか。あの子の笑顔も、たぶんそういうことだったんだろうな。よく似てるぜ」
あああ、と叫び声を上げて青年が襲いかかってきた。何度も試したのだろう、その切っ先は確実にマベの心臓を狙っていた。肉厚の刃がざくりと肉を切り裂いた。
「……う、うう……」
青年はわなわなと震えた。飛び込むと見せかけて踏みとどまり、ナイフを自身の喉に突き立てようとしたのをマベの掌が遮ったのだ。ぽたり、ぽたりと赤黒い液体が、貫かれた掌から刃と柄を伝って男の手指を濡らしていく。手の甲から突き出た刃先に唇を震わせながら、青年はマベの顔を見つめた。マベは微動だにせず、顔色一つ変えずにじっと男を見ていた。濃い茶色ののっぺりとした瞳は何を考えているのかわからなかった。ゆっくりとその唇が動く。
「それでも俺は、やらなきゃならねえんだ」
言葉の意味は伝わらなかっただろう。しかし青年の心を揺さぶるには十分過ぎたのだろう、彼は嗚咽しながらその場に崩れ落ちた。切っ先が喉に到達していたのだろう、シャツの襟が少しずつ血で染まっていくのが見える。
「………マベさん!そいつで最後で、」
駆けつけてきた隊員が、手の甲に深々と突き立てられたナイフを見て言葉を詰まらせた。後続の隊員達が駆け寄ってくる。皆一様に黙りこくり、マベと蹲って泣きじゃくる青年とを交互に見つめた。マベはその様子に不機嫌そうに顔を顰めた。
「何突っ立ってやがる。他の連中はどうした」
「全員、捕縛完了です」
「人質は」
「全員無事です。ずいぶん長いこと閉じ込められていたようで、念のため全員病院に搬送します」
「了解」
「……この男は?」
「捕縛する。…喉に怪我をしてる。見てやれ」
「自分がやります」
「頼む」
ナイフを引き抜き、止血しようとしたところで別の隊員が手を取り傷口を布で押さえた。隊員は慣れた手つきで包帯を取り出し、応急処置を施されながらマベは黙って青年を見つめていた。同じく処置を施され、両手を縛られ立ち上がった青年は一言も発さずに俯いていた。やがて促され歩き始めたのをマベは呼び止めた。青年は視線を足元に向けたまま顔だけ振り返った。
「どうしても許せないなら、また殺しに来い」
下を向いているその目にみるみるうちに涙が溜まっていく。隊員は困惑した表情を浮かべていたが、マベに小さく頭を下げると青年の肩を叩き、捕縛した者達のいる場所へと連れて行った。
「大丈夫か?」
手当てを終えた隊員がマベに声をかけ、ゆっくりと歩いていく二人に目をやった。
「よかったのか?あんなこと言って。お前また恨まれるぞ」
「これが俺のやり方だ」
「あの場で死なせてやりゃよかったんじゃないのか?事情はどうあれ、あいつは俺達の敵になることを選んだんだ」
「俺は無闇矢鱈に殺さねえ。……あいつとは違う」
「私情か。殺さないのが救いってわけでもないだろうに」
マベは小さく溜め息を吐き、包帯の巻かれた掌をじっと見つめた。
「……そうだな。俺はこうすることで罰を受けたかったのかもしれねえ。罪滅ぼしをしたかったのかもしれねえ。……俺の身勝手で手間取らせて悪かったな」
「……あのなあマベ……、」
隊員は呆れたように大きく息を吐き、どこか暗い顔をしたマベをじっと見つめて言った。
「どうしてそれをあの時、隊長に言わなかったんだ?」