04.お見舞い

 

───今から少し前。”小鳥”と呼ばれた少女がこの世から消えたあの夜から、暫く経った頃の話。

ある病院の特別個室。上体を少し起こしたベッドにゲラルトは横たわっていた。顔は窓の方を向いており、起きているのか寝ているのかはわからない。
外の風が強いらしくカタカタと窓枠が鳴った。ごく僅かな者しか入院できない特別待遇の個室だというのに、どこからか隙間風が入り込んできたのか、部屋の空気が少し揺れ動いた。普段なら不審な物音一つ逃さない男も、今は身動き一つしなかった。

突然、カーテンが持ち上がるほどの突風が部屋の中に吹き荒れた。内側から食い破るような旋風が起こり、窓やドアが激しく音を立てる。その中から現れたのは、薄汚れたような茶髪の支給されたコートを着崩した黒眼鏡の男だった。男…マベ・マヘスは色の悪い茶色の瞳でベッドの上に横たわる男を一瞥した。
ゲラルトは目を閉じて眠っていた。微かに背中が動いており、呼吸はしているようだったが、首元も腕も、見える限りほとんど包帯が巻かれている。

揺れていたゲラルトの髪がその動きを止めた。マベは音もなく床に降り立つと、ベッドの側まで近付いた。

「…………寝てんのか」

声をかけたが返事はない。代わりに穏やかな寝息が聞こえ、ほんの少しだけ甘い匂いがする。
寝息を立てている様子にマベは小さく溜息を吐いた。鼻先をくすぐる甘い匂いに少し顔を顰めると、ベッド横のテーブルに置かれた見舞いの品に目をやった。
果物籠に手を伸ばし、林檎をひとつ手に取る。携帯していたナイフを取り出すとそれをおもむろに剥き始めた。誰かが見れば「意外と器用だ」と言いそうな慣れた手付きで何等分かに切り分け、皮に兎の耳に見立てた切り込みを入れていく。テーブルに置かれた皿に、見事な兎の群れが出来上がっていく。
完成すると1羽だけ手に取り、ベッドに片膝を載せて眠るゲラルトに近づいた。見えないはずのマベの目には、何かしらの強い感情が浮かんでいた。

手にした林檎を、ゲラルトの口に突っ込む。

「……んっ……」

わずかに声が漏れた。ゲラルトがマベの手を掴み、その目を開ける。冷たい目で睨みつけるわけでもなく、ただシャクシャクと音を立てながら突っ込まれた林檎を黙って食べ始めた。本当に今目を覚ましたのだろう、どことなくぼんやりしている。
ひとしきり食べたところで、ゲラルトが少し首を傾げた。

「………お前、は……何をしに来た? 何か急ぎの件か?それなら代理を立ててあるはずだが……」

離された手をマベは何かを払うように振った。溜め息を吐いて、ベッドの上の人を黒眼鏡の奥から見下ろす。

「………見舞いだ。よう、随分やられたじゃねえか」

「見舞い、……見舞い?お前がか?……。……そうだな。今ここで生きているのが不思議なくらいだ」

「あーそうだよ。悪りィか?記録が残んのがイヤだったから勝手に入ってきてやった。……主戦力のお前が生死の境彷徨うくらいの相手か。…気に食わねえな」

誰にともなく低く舌打ちする。無論、ゲラルトに腹が立っているわけではない。

「……いや、意外だと思っただけだ。あの日の夜、イシスアセトのライフラインが狂ったらしいと聞いた。……それ程の相手だ」

ゲラルトはさらに何か言いかけたようだったが、やめてしまった。
国内のライフラインは全て魔術で完璧に制御されている。ゲラルトが瀕死の重傷を負いながら本部に帰還した夜、それが大幅に狂ったことはマベも知っていた。
最強と言われるゲラルトがただならぬ状況に陥り、同時に国内のエネルギー源の供給が一時的に乱れたのを知った時、おおよそ自分では想像のつかぬ何かが起こったのだと悟った。
その二つの事柄は、決して偶然起こったわけではないことも。

「……頭のほうは大丈夫なのか?ボーっとしてんじゃねえか」

「……? いや。特段ぼーっとしているつもりは無い」

「………そうだな。俺があんたを気遣うなんて、マァ無えことだろうな。部隊の全員でもなんでも使えばよかったのに、気に食わねえ…。………いや結構普段より緩いっつーか、………もういいわ、絶対頭やられてんだ。……うん。そうだ……」

「部下に気遣われているようでは、上司は務まらんからな。 あれは、あの人から…………、いや、国王から預かった任務だ。他の誰にも渡せはしない。私がやらなければならなかったことだ」

ゲラルトがパッとマベのほうを見た。どこか独り言のようにぶつぶつ言うマベの様子をじっと見ている。

「私は普段通りにしているつもりだ。というか、ついさっきまで寝ていた相手に言うことか……?」

マベはすっかりペースを乱されてしまっていた。
普通にリンゴ食ってんじゃねえよ。何か言えよ。と心の中で悪態をつく。ベッドから降りると、すぐそばの椅子を引き寄せて乱暴に腰を下ろした。

「……気遣われていいと思うぜ?上司も部下も、皆同じ人間だろ。前々から思っていたが、隊長クラスの負担が大きすぎる。………俺がずけずけ物を言うヤツなのは、あんたが一番よく知ってるだろ?あン時もそうだったろ」

ゲラルトがようやく身体ごと向き直ったが、傷が痛むのか少し動きにくそうにしている。

「動くなよ。傷に触るぜ」

見兼ねたマベは動かないよう短い言葉で制した。

「私達が人間扱いをされているかどうかは、微妙なところだな」

「じゃあせめて、同僚の気遣いは素直に受けとけ。皆ずっと、お前の身を案じてたんだからよ」

「ウライオスの隊長をやるというのはそういうことだ。死にに行くつもりでいたが、私が生かされた。それはつまり、…まだ、隊長として戦えということなのだろう」

ゲラルトはそう言うと、少し無気力そうな感じで何かを考えた。

「……あの時…?」

「いや忘れてねえよな!?あの時だよあの時!任務が終わった後に俺とテメエでやり合っただろうがよ!!?」

「……やり合った?………あぁ、そういえばそんなこともあったな」

「はアァ!?今の今まで忘れてたのかよ!?人の口にやべぇモン突っ込んどいてこの野郎、俺がお前の口に入れたのがリンゴで良かったと思えよ!?」

「今の今まで忘れていた。あー………… そうか。……っ、そういえばそうだったな。お前の指なら遠慮なく噛み切ってやるが?」

一瞬笑い声が漏れそうになって堪えたのを、マベは嫌そうな顔で見ていた。

「今、顔笑ってたよな?もうあの時の俺じゃねえからな、噛み切れるもんならやってみろ。………。………ま、そういうことだよ。俺は口は悪りィし、感情的で不正確なやり方しかできねえ。そういう部下がいるからまだ死ぬなってことじゃねえか?」

「……そうだな。お前みたいな不出来な部下を躾けるのも私の仕事だからな。だが私に万が一のことがあったら、……お前に譲ってもいいぞ」

思いがけない言葉だった。
冗談なのかどうか、いつもの無表情でよくわからない。
マベは急に真顔になり沈黙した。やがて怒っているような悲しんでいるような表情になると、ゲラルトを真っ直ぐに見つめた。

「……………お前。それ、………本気で言ってんのか」

「ああ、本気だ。私がそんな笑えない冗談を言う人間だと思っているのか?」

ゲラルトは目を伏せ、そしてまた視線を合わせた。
真面目な表情と、仕事中には見せない穏やかな目。血の繋がらないはずのあの人の面影が見えるようだった。

「でもまだだ。今のお前には無理だ。まずは、私に勝ってからだな」

「…………………」

長い長い沈黙が二人の間に流れた。
ゲラルトの目を見えないはずのマベの目がじっと見つめている。マベは一瞬泣きそうな顔をしたように見えたが、すぐにぐっと俯いた。

「……気持ちは嬉しい。…けど、もう万が一なんて言うな。言わないでくれ。自分がウライオスにいる間に、二人も隊長が死ぬのは御免だ」

俯いたまま顔を背ける姿に、ゲラルトはほんの少し目を細めた。

「そんな顔をするな。馬鹿だな、お前は……本当に。知っているだろう、私は殺そうと思って簡単に殺せるほど弱くはない。私はこの肩書きである以上、この国で一番強い人間であり続けなければならない。それは力や体だけの話ではない。」

「馬鹿は余計だ。怪我人が物騒なこと言うんじゃねえよ…………心も強くなけりゃならねえって言いたいのか?」

「そうだ。」

短く、それだけ。
それで十分だった。

「……ところでお前、仕事は。こんなところで私と話をしている時間ではないはずだが」

「…ああ、あんたがいないから部隊内で色々スケジュールを調整したんだよ。ま、もうあまり時間はねえけどな」

何かを隠すようにマベは立ち上がろうとして、俯き加減のまま黒眼鏡を指で持ち上げた。ほんの一瞬の隙に目元を拭うと、すぐに背を向けてしまう。
ゲラルトは一連の動作を見てはいたが、そこに隠された感情には気付けなかったようだった。

「……それほど長くは空けないつもりだ。もう歩ける程度には回復している。」

「………最後に一つ、いいか?」

「何だ?一発殴らせろとか言うなよ……」

「誰が怪我人に殴らせろって頼むかよ」

マベは横顔を見せて小さく笑った。

「………俺には自分がどこまでやれるかなんてわからねえ。ただあんたには必ず勝つし、隣りに立ってもあんたが恥ずかしい思いをしないくらいには強くなってやるよ。負け犬飼ってても面白くねえだろ?…ゲラルト隊長さんよ。」

ゲラルトは何か言い返そうとしたが、最後の一言に驚いて、珍しく目をはっと見開いた。

「隊っ、……え?………あ、…ああ、そう、だな……?お前、やっぱり何か変なもの……、」

「ま、あんたがいない間の任務は俺達が肩代わりしますんで、せいぜい養生してくれや。こんなに長い期間休んだことねえんだってな?ワーカーホリックのゲラルト・シェズム隊長様はよ」

遮るようにそう言うと、マベは今度こそゆっくりと背中を向けた。ゲラルトのほうはというと瞬きが異様に増え、明らかに困惑した顔をしている。

「……ちゃんと休めよ?」

「あ、……ハイ」

なんとも間の抜けた返事だった。マベは背を向けたまま、へ、と声を出して笑った。

「良いお返事で。 あ、リンゴ食えよ。じゃあな」

ドウという風の音とともにマベは激しい旋風の中に消えていった。

その風も次第に消え、病室に元の静けさが戻ってくる。
自分以外誰もいなくなった病室で、ゲラルトはひとり、首を傾げた。

「……5年も経って今更、何なんだ……?……いや。全くわからんな…」

置かれたリンゴのうさぎの耳にちょんと触れ、しゃく……と音を立てて、心の内のモヤモヤを誤魔化すようにまた無表情でリンゴを食べるのであった。