食べかけの苺

イシスアセト王都の中心部にほど近い大通り。
そこに面した太陽の光が差し込む店内からは、通りを早足で歩く人たちが見えていた。

薄い木目の床に白いテーブルが整然と並べられたその店は、若い女性たちの話題になっているパフェが売りらしく、平日の昼間にも関わらず全てのテーブルが埋まる盛況ぶりだった。
店の中には声と声が重なり互いの会話はほとんど聞こえないが、それはおそらく聞くに値するようなものではなかっただろう。

ほとんど女性客ばかりのその店の窓際の席に、一組の男女が座っていた。

「どう考えても適任者とは思えないが」

男の方が少し低めの声で言葉を発すると、近くの席に座る若い女性たちがまるで示し合わせたかのように一斉に男の方を見た。
特徴的な透き通るようなアイスブルーの目と整った顔立ちをした長身の男は、何の特徴もない白と黒を基調としたシンプルな服装にその身を包み、少し気だるそうに姿勢を崩して席に座っている。
一斉に向けられた目線に気付かないほど不注意なわけでは無いが、男は残念ながら、その意味するところを理解する心は持ち合わせていない。
男は周囲に起きた些細な変化を気にとめることもなく、目の前に座る女をじっと見ていた。

その視線の先には、薄いピンク色の髪を高い位置でひとつ括りにし、黒いフイッシュテールスカートにフェミニンな花柄のブラウスを合わせた女が座っている。
一つの隙もないほど完璧に整えられた容姿のその女が、頬にかかった一束の髪の毛を整えられたペールピンクの爪先でそっとすくい上げると、長い睫毛を上げ、男より少し濃い青の大きな目でその姿を見つめ返した。

「マベさんが言われた日に病院行かないから、無理やり検査入院させられちゃったんだよ。だから、仕方なくアンタを呼んだってだけ。」
「懲りないな、あいつは。」

ゲラルトの方へ視線を向けた周りの女性たちは、その向かいで親しそうに話をするミラの姿へと視線を移したあと、落胆したような顔をしてひそひそと何か言い合ったあと、また各々意味の無い会話へと戻っていった。
ゲラルトが目を伏せ気味にして穏やかに答えると、ミラは口元に手をあてて可笑しそうに笑ってみせる。絵に描いたような美しい男と女が平日の昼間からカフェで親しげに話す様子は、恋人同士か、或いはそれよりもっと深い仲に見えたかもしれない。
少なくとも、この2人が何のやましさも色気もないビジネスパートナー同士であるとは、誰ひとり想像しなかっただろう。

そうしている間に、店内にはまた元の意味の無い会話が重なる雑音が戻った。

「クリームを浴びるように食べたくてさ。あ、フルーツは食べていいよ。」
「いや、私はコーヒーがあればじゅうぶんだ」
「えー、全部食べたら太っちゃうから」

2人は雑音に溶け込むように極めて静かに会話を続けた。

この国の全域に暴風雨が吹き荒れたあの新月の夜、ゲラルトは人とも魔術師とも違う”神域”と呼ばれる存在に対峙し、任務外の戦闘を行い、負傷したマベとともに長い謹慎処分となった。
代わりに動向調査を続けているミラは”それ”に関わるものについて、この数日の間に目立った動きは無かったと淡々と伝えた。

ミラはゲラルトに依頼された情報を集めるだけで、あの夜に起きたことの真相について、一度も聞こうとはしなかった。
この国の最高位の魔術師が出した予報にさえなかった災害級の暴風雨がどのように引き起こされたのか、察しのいいミラは勘づいているようだった。
勘付いていながら確かめようとしないのは、ミラなりの気遣いなのだろうと理解していながらも、ゲラルトは何とも言い難い罪悪感を覚えるのだった。

あの夜の出来事の発端がミラ自身の能力だったと、本人だけが知らずにいる。
国内最強と言われるほどの術師であるゲラルトとマベが命を投げ打つ覚悟で戦った理由が、既に確定していた”ミラが死ぬ未来”を捻じ曲げるためだったと知れば、ミラはきっとまた自分を責めるだろう。そう思ったゲラルトは、ミラに真実を伝えないという選択肢を選んだ。
それでも、負傷し意識が戻らないマベを待つ間、嗚咽をもらしながら泣くミラの姿を見る度に心が傷み、一度決めた選択肢を曲げるかどうか悩んできた。

ゲラルトが少し浮かない顔で考えを巡らせている間、アイスとクリームを細く長いスプーンですくいとっては、ミラが口に運んでいた。
ミラが最初の言葉通りフルーツに手をつけないのを見て、ゲラルトが器のふちに引っ掛けるように乗せられた真っ赤な大粒の苺を指でつまみ上げ、その先をかじったその時、思いかげずミラがはっと顔を上げた。

「あーっ!!何でイチゴ食べちゃうの!?」
「あ…、いや?フルーツは食べていいと言っただろう」
「イチゴは食べたかったのに!」
「先に言え……」

責めるような目でじいっと見つめたあと、ミラが口を大きく開ける。
ゲラルトが手に持った齧ったイチゴを一度見てから少し悩んで差し出すと、ミラはひとつの躊躇いもなくそれにかぶりついた。
ゲラルトは呆れた表情を浮かべたままその様子をじっと見ていたが、ミラの奇行のお陰でさっきまで考えていたことは頭からすっかり消えてしまっていた。

目の前に座ってころころと表情を変える気難しいこの人が、食べかけのイチゴで機嫌よく笑っている今この瞬間が護れた。細かいことは抜きにして、それだけで良かったのかもしれない。
ゲラルトとマベにとっては、ミラのためなら自分の命を投げ打つことなど大したことではない。そう思わせるほどにこの人は、ここに居るだけで意味がある、大切でかけがえのない存在だった。

そうしている間にミラがもぐもぐと咀嚼しながら、お礼にひとくちどうぞと言わんばかりにスプーンでアイスをすくって差し出した。ゲラルトは何も言わずに首を横に振った。
それでもぐいぐいとスプーンを突き出してくるミラに向かって、否定のフレーズを口にしようとしたとき、ミラが強引にスプーンをその口に突っ込んだ。
避けようと思えば避けれたはずのその奇行をただただ受け入れることとなったゲラルトは、甘ったるいバニラの香りのするアイスを呑み下す他なくなり、冷たい印象を与えるその目で半ば睨みつけるようにミラを見た。
その視線の先にいるミラは機嫌よくにやにやと笑っていた。

その一連のやり取りを見ていた隣の席の若い女性が、両手で顔を覆って頷きながら何か言うのに気付いたのは、ミラだけだった。

大通りからひとつ角を曲がった道を2人は歩いていた。
通りを明るく照らしていた陽は傾き始め、辺りが少し薄暗くなるとともに、肌寒いと感じるほどの風が吹き抜けていき、ミラの明るい色の髪を揺らした。

「クリーム欲が満たされたぁ。ありがと、付き合ってくれて。1人で来るとモテない女みたいで嫌だから。」
「パトロンはいくらでもいるだろ」

ミラは黙ったまま、少し早足でゲラルトの斜め前を歩いていく。
珍しく言葉を返さなかったことに少し違和感を覚えたゲラルトが追いついて視線を向けると、ミラはいつものようにその可愛らしい悪人顔でニコッと笑って見せ、それからまたまっすぐ前を向いて歩いていった。

「デートはイケメンとのほうがいいかなって。お金くれるパトロンとはこの後お出かけだから」
「お前、まだそんなことをやっているのか?」
「ご飯食べてくっだらない話に「そっかあ♡すごぉい♡」って相槌打ってるだけで儲かるんだから。」
「そのパトロンには会うな。金が必要なら私が倍額でお前を買う。」

ミラが勢いよくゲラルトの方へ振り返り、結った髪が振り子のように激しく揺れた。たったひとつの隙もなく整えられたその大きな目に、驚きの感情が写る。
そのままぱちくりと何度か瞬きをしたが、その視線先にある透き通るような青い目は揺るがず真っ直ぐミラを見つめていた。

「何言ってんの。ついに気ぃ狂った?そんな超真面目に言われるとちょっと戸惑うわー、顔面偏差値がエグくて。」
「デートならイケメンとのほうがいいんだろ?」
「おっとぉ……自分で言うか…、クソ腹立つ……」

ミラが言い終わる前に、ゲラルトがその細い手首を半ば強引に掴んで歩き始め、2人は早足で街中を歩いていく。
ミラが掴まれた手首の先を不満げな様子でぷらぷらと振ったのを合図にゲラルトがその手を握り直すと、周囲の冷えた空気に晒されて冷たくなったミラの手が思いがけずその大きな手を握り返し、ゲラルトははっと振り返った。
そこには、少し不安げな表情を浮かべるミラの姿があった。

「…入院しているマベを冷やかしに行くか?」
「あーうん、そうしよ。もともと不機嫌なのにもっと不機嫌になるだろーね。おもしろ」

ミラが困ったような表情で小さく笑い、またすぐに黙り込んだ。
一旦足を止めたゲラルトが少し背を曲げてその不安げな顔を覗き込む。感情が希薄なゲラルトにはこういうときにかける適切な言葉がなかなか見いだせず、言葉の候補をいくつかあげたところで考えるのをやめてしまった。

「ミラ。お前が今日私を呼んだのは何故だ?」

ミラはその問いには答えなかった。

「質問を変える。今日私を急に呼び付けて、通りに面した店をわざわざ選んだ。……お前、つけられてたのを知ってたな?」

はっと顔を上げたミラが、少し間を開けてから静かに頷いた。ゲラルトはそれに少し目を細めるだけで答えた。
あたりはもう随分と薄暗いが、道沿いの灯りはまだ昼間の気分でいるのか、その役を果たそうとしない。通りの向こうから2人に近づいてくる足音が僅かに聞こえてくるのと同時、ゲラルトは先程より幾分が優しくミラの手を引いて歩き出した。
その重ための音からそれが大柄な男のものであるということ、そしてミラをつけていた人物のものであるということは想像に容易い。

忙しない足音が、少しずつ距離を詰めてくる。
足音がすぐ後ろに迫った瞬間、ミラの少し前でその手を引いていたゲラルトの視線が動く。

「待って、魔術使用禁止―――、」
「馬鹿言うな、必要ない。」

思わず手を引っ張って忠告したミラの言葉に被せて、ゲラルトが口を開く。
後ろの男がミラの細腕を掴もうと伸ばしたその腕を、前方を向いたままのゲラルトの手が、後ろまで見えているかのような寸分の狂いもない動きで掴んだ。
驚いた男の腕がぐっと強ばり手を引こうとするのも構わず、ゲラルトは腕を強引に引き込み、男と向かいあわせになるようにその身を半回転させる。

ちらりと見下ろす男の顔は全く見覚えの無いものだった。背格好は大きめだが、実用的に鍛えられているという程でもない。着飾った格好は、この後行われるはずだった女との逢瀬に合わせてのものだろうか。
少なくとも男がどこかしらの組織に所属する戦闘員では無さそうなことがわかり、その腹部に一撃入れられるようにと強く握った拳を解く。代わりに肩を押すと、男はいとも簡単に背から地面に倒れ込んで小さく悲鳴をあげた。

「何故この女をつけた?」
「おれはっ……、××ちゃんが好きで……、今日会ってくれるって言うから朝から見てたらお前が……。顔がいいだけの男に××ちゃんをとられたくなくて、」

感情的でまとまりの無い話を続ける男の手を、ゲラルトがぐしゃりと音を立て踏みつける。男はまた情けない悲鳴をあげ、見てわかる程にぶるぶるとその身を震わせた。

「私が刀を提げているのに気付かなかったのか?暴力沙汰に関しては国内トップだ。理解したなら今すぐこの場から失せろ。この女に二度と関わるな。」

男が腰を抜かして動けないのを見て、ゲラルトは側に立つミラへと視線を動かす。
つけてきていたのはミラを付け狙う組織の人間ではなく、単なる変態の男だったとわかって少しほっとしたのか、その顔色は先程よりも幾分よくなっているようだった。
ゲラルトが優しくミラの背に手を置くと、ミラは一度頷き、またゲラルトの大きな手を握った。

「あ、あぁ、待ってよ。私そんな早く歩けないって」

謹慎中のゲラルトは、先程の男が下手に騒いで大事になると不都合だという考えが頭をよぎり、ついミラの手を引き早足で歩き出していた。ゲラルトはぴたりとその歩みを止め、高いピンヒールを履いたミラの足元を確認し、その前に跪くようにして屈んだ。
見上げたアイスブルーの瞳と、それを見下ろす困惑気味の薄青の瞳がかち合う。
ゲラルトはミラの腹の辺りに肩を当て、膝裏に手を回してそのまま立ち上がった。

「アンタは何で人命救助のときの担ぎ方するのかなぁ?!マベさんなら絶対お姫様抱っこしてくれるのに!」
「両手が塞がるのは不利だ」

否定する間も与えられず肩に担がれたミラが文句を言うのも気にせず、何気なく顔を別の方に向けた瞬間、ミラが背中を叩く。

「こら、魔術使用禁止!息吸って吐くみたいに使おうとするな!」

ゲラルトがはっとした顔をした。
本来、魔術師が術の発動前に展開する陣を必要としない、いわゆる”陣無し”の術師のゲラルトが、転移術式を発動させようとしたことを、ミラが感知したわけではないのはわかっている。
何気ない動作から次に起こしそうな行動を読まれていたと気付いたゲラルトは、珍しく苦笑いのような表情を浮かべた。

「よくわかったな」
「当たり前でしょ、アンタと私の仲なんだから」
「それもそうだ」

ゲラルトがほんの僅かに笑ったような息を漏らしたのが聞こえたミラは少し困った顔をして笑い、小さく、馬鹿、と文句を言ってみせた。
馬鹿でなければあんな勝ち目のない戦いには出ていない、そう思いながらゲラルトは大股で急ぎ足に歩き出した。

やがて2人の姿は通りの先に消える。
やっと夜を知らせる街灯が目を覚まし、かわりにその道の真ん中には情けなく転がっている男が照らし出された。