「はーあ…… さむ。」
このところの大寒波で外の道にはうっすらと雪が積もり、古びた店の中は暖房を焚いてもまだ少し肌寒い。
広いソファの上で膝を抱えるようにして座っているミラが、ぶるりとその身を震わせた。防寒などまったく度外視の服装を着て外を歩いても平然としていられるミラが、今日は珍しくブランケットに身を包んでもなお寒がっている。
少し間を開けて隣に座っているゲラルトが、その様子を見て不思議そうに声を掛ける。
「どうした、ミラ。具合でも悪いか?」
「うーん、そうなのかなぁ?そうかも。」
普段から血色が悪いわけではないものの、ミラの両膝の上に乗せた頬はいつもよりほんのり薄紅色に見える。気だるそうにもぞもぞと顔の向きを変え、どこを見つめるわけでもなく、どこかぼんやりした目をしてミラがぽつりと呟く。
「さむ……。ね、隊長」
「何だ」
「”ハグして”。」
「…………。……は?何を言っている。するわけが無……」
突飛押しもないその要求に対して出るべき否定の言葉を口にしながら、ゲラルトの腕は無意識にミラを引き寄せ、気付けばその細身の体を腕の中に抱えていた。
暫くその状況を理解出来ずに押し黙ったゲラルトが、自分の意思とは全く違う行動を起こしてしまったことに気付いてはっと目を見開く。今起きた不可思議な現象の理由に心当たりがあったが、その通りのことが起きたとすれば、ゲラルトにとって決して好ましいことではなかった。
「ミラ、お前、何をした?」
「へえ?あー、なんかいい匂いしてぼーっと……」
今度はミラがはっと目を見開く。
意図的にそうしようとしたわけではないのに、ゲラルトを無意識に術をかけ自らの言葉に従わせてしまったことに気付き、ミラもまた驚いていた。
母譲りのその力はミラにとっても好ましいものではない。余程の理由がなければ使わず完璧に制御している代物なのに、今この場で突然に暴発した原因について、ミラもまた同様に心当たりがあった。
「あんた怪我してない!?」
「……している」
「それじゃん!!!!!うわ頭痛やばい自制効かないいい」
「そういうことか!?」
鼻を抜ける葡萄酒のような香りは、ゲラルトの血液からする魔力の匂いだ。
ゲラルトは怪我を負ったにも関わらず、とある事情からろくろく治療もせず職場を後にした。そしていつもなら自宅へと向かうところが、その自宅が騒がしくてとても療養するに相応しい状況ではなかったので、応急処置だけしてこの店に来ることとなった。
この店は相変わらず結界の影響を受け、店主の匙加減次第ではあるものの、人避けがされている。少々血の匂いが残っていたとしても、良くないものを呼び寄せることのない場所だからと、油断しきっていた。ゲラルトの特異体質の影響を受ける人は、この店の中にもいるという点を考慮していなかった。
「あ~~いい匂いする……。もっと欲しい……、脱いで。」
「やめろ、迂闊なことを言うな!」
魔力の匂いにあてられたミラの力は暴走している。ふと言葉にした何気ない要求が全て、拒否できない命令として頭の中に響く。その命令に素直に従うわけにはいかないゲラルトは、険しい顔で抵抗してみせるが、その言葉をまるっきり無視してしまうことが出来ない。
その命令通りネクタイを緩めてシャツのボタンをいくつか開けたところで、無意識下で行われていく自らの行動を理性で押さえつけ、まだ血の匂いと傷跡の残る首元へ乱暴にミラの鼻先をぐっと押し付けた。
甘く芳醇な魔力の匂いが、ミラを襲う。
「うっわ、酔………おぇ………」
あまりに高濃度の魔力を一気に吸い込んだミラは、はたと動きを止め、暫くの後そのままがくりと力が抜けて気を失った。術師の意識が途切れたことで命令から開放されたゲラルトは、苦々しい表情を浮かべながら頭を垂れる。
店の奥の扉がバタンと荒々しい音を立てて開けられた。そこに立っているのは当然ながらホフマンだった。
「ついに既成事実ができてしまうのですか!?私の店ですから立ち会ってもよろしいのですね!!?」
「居たならもう少し早く出てこい!今日に限って遅れて出てくるな!」
「私も間に挟まってもいいですか!?」
「断る」
興奮しきったホフマンが既成事実云々ではないなら一体この状況は何なのかとしきりに、具体的に言うと5秒毎に尋ねてくるので、ゲラルトは起きたことを何の脚色もなくありのままに話した。
すると急にホフマンは真面目な顔をしてうんうんと頷き、納得した様子を見せる。
「なるほど。ミラはゲラルト様の魔力の匂いに酔いやすく、ゲラルト様はミラが暴走した時の命令に逆らえないわけですね。そんなおいしい話ありますか?あります、ここに。」
「お前の様子が一番おかしい」
「おや。いつものことではありませんか?」
「自覚があるのか!?」
「私はミラとゲラルト様の晴れ着を作る心の準備はいつでも出来ておりますよ?」
「話を聞け」
興奮したホフマンが話を聞かないのはいつもの事とはいえ、今日はそれが一段と激しい。ゲラルトは心底呆れた顔をして、大きなため息をつく。
厄介な奴だと思いながらもミラを突き放すことなく付き合いが続いているのは何故か。答えは簡単だった。
「私は一刀さんの代わりをしているに過ぎない。特別な理由があるわけでは、」
「ゲラルト様は本当に鈍感でいらっしゃる。時に少々イライラしますね……。ああ、本当に。ネクタイ切りますよ?」
「はぁ…………?」
急にホフマンがじとりと睨みつける理由もわからず、ゲラルトは困惑の表情をうかべる。
ゲラルトは本当に言葉通りの感情しか抱いていないつもりでいる。一刀さんがいつかどこかで言ったらしい「危なっかしい」という一言を自分も感じているから、きっと彼ならそうしたであろう行動を自分もしているに過ぎない。それは模倣であり、特別な思いがあってのことではない。
「うにゃ」
「おや。ミラが起きそうですね。お水をくんできましょう。」
先程まで興奮していた様子が嘘のように急に理性を取り戻したホフマンが、いったん店の奥に消えていく。
自らの腕の中にすっぽりと収まったまま、危機感のない顔ですやすや眠るミラの顔を見て、ゲラルトは何とも言えない表情を浮かべる。
「まあ、何だろうな……、一刀さんの気持ちもわからなくはない……」
特別ではない、それは決して嘘では無いが、危なっかしさと共に感じるものが全くないではない。
夢の中でなぜか満足気に笑うその頬をそっと撫でると、ミラがもぞりと動いた。
「んふふ。ぶっころす。」
「……。外に放り出しておくか……」
それが恐らく夢の中で自らに対して発せられた言葉だろうと察したゲラルトは、またひとつため息をつく。そしてそっとミラの肩までブランケットをかけ直した後、無闇に動かないようにソファの背もたれに腕を乗せて寄りかかり、眠るように目を閉じた。