16.鳥籠

ミラは、とある人の紹介でそこに連れられてきた。

何度その扉をくぐっても、その外観を無視した構造には毎回驚かされる。ミラの他にも武器商人や軍人と思しき人、その連れたちが何人か居たが、内部に入るのが初めてだったのだろう。彼らは皆、驚きの声をあげていた。どうせここを出た頃には記憶が操作されて曖昧になってしまうから、その驚きや感動も無駄なものなのに、とミラは彼らを鼻で笑っていた。

かく言うミラも、中心部に入ったのは初めてだった。
ゲラルトがエル――、小鳥自身から聞いた話によると、中心部のあたりに彼女の居場所があるらしいが、途方もなく広いこの建物のどこにそれがあるのか、一度の訪問で見つけるのは難しそうだった。
もし見つけられたところで、大した戦闘力を持たないミラでは神にも似た力を持つ小鳥に歯が立たないことはわかっている。今回の目的は、いつかゲラルトがここへ侵入する時のために、この建物の構造をなるべく多く把握して帰ることだった。

周りがしている会話には全く興味がなく、ただの雑音のように耳を通り抜けて行った。その集団の最後尾を静かに歩くミラはその会話に交じることなく、その特徴的なオッドアイを隠す色付きのコンタクトレンズを通して、施設の中を注意深く観察していた。
彼らは人の記憶は消せても、物の記憶は消せない。ミラは記憶を操作されても無くしたそれを辿れるように、自分が見たものを物に記憶させていく。

潜入しやすいルートなどを考え、あちこちよそ見しながら歩いていると、窓から白い温室のような大きな建物があるのが見えた。それはこちらの建物と長い空中回廊で繋がっていて、この研究所のなかでは特別異質な存在に見えたが、まるでその建物自体が誰にも見えていないかのように、それについて話題にあげる者は誰ひとりいなかった。
ミラは誰にも気付かれないようにそっと列の後ろから抜け出し、その建物の方へと向かった。

白い明るい廊下をしばらく歩いていくと、それは白い骨組みに硝子のような透明な板が張られた温室で、中では植物が育てられているように見えた。
途中で誰かに順路に戻れと言われるに違いないと思っていたミラは、ここまで誰ともすれ違いさえしなかったことに少し違和感を覚えながらも、その部屋へと繋がる扉に手をかけた。

扉には鍵が掛かっているようだった。当然のことだろうと思ったが、ミラが引き返すかもしくは別の手段を使うかと考えている間に、その扉はまるでミラを手招くかのようにガチャリと音を立てて開いた。
突然の出来事に戸惑ったミラだったが、その不思議な招待に応じることにし、静かにその扉をくぐった。

そこは広い美しい庭園が広がっていた。
研究所自体がそうであるように、この温室も外観を全く無視した作りになっていて、中央には一体いつからここに立っていたのかと思うほどに大きな木が茂り、その周りには色とりどりの草花が植えられている。
どこからか吹く風に乗せて季節外れの薔薇の匂いがして、ミラは導かれるようにそれを辿った。

緑のアーチをくぐってゆっくりと歩いていくと、その先にはバラ園が見え、そして同時に若い女性の歌声が聞こえてきた。少女と言うには少し大人びたくらいのその声は、甘く美しく透き通るようで、心を鷲掴みにされるような衝撃があった。
気が付くとミラはその歌の聞こえる方へと早足で歩いていた。

忘れた過去の日々
大切な人はどこへ
少女が残した
思い出だけを胸に

ここへ来て 愛しい人
牢獄の中では
幸せなあの日々に
手は届かない

そこに居たのは、白いワンピースに赤い髪が特徴的な、まだ少女の面影を残すくらいの女性だった。それは、いつか見た記憶の中の彼女と全く変わらない姿で、ミラはこの人こそが小鳥と呼ばれるものであると直ぐに理解した。
ミラがじっと見つめたまま立ち尽くしていると、彼女はゆったりとした動作でそちらを見て、何度か瞬きをした。長い睫毛に日があたり、その瞬きのひとつひとつさえ美しかった。

「あら、珍しいわね」
「こんにちは、お嬢さん。こんなところで何をしてるの?」
「何もしてないわ。退屈してたの。」

確かに彼女の言う通り、こんなにも美しく整えられた庭園だと言うのに、ここには彼女とミラ以外に誰一人居なかった。
ここに来るまでの間もこの庭園も、不自然な程に人気がない。まるで遠い過去の日に置き去りにされたまま、ひっそりと忘れられた場所のようだった。

「じゃあ私が君の退屈を潰してあげよう」
「本当?嬉しい!」

喜んだ様子を見せた彼女は、今度はしっかりとミラと視線を合わせた。その金色の目はダイアのように光を乱反射し、吸い込まれそうな程にきらきらと輝いた。
実際に吸い込まれる者も多いのだろう。心を掴んで奪おうと、瞳の奥の闇がじわりと滲み広がるのをミラは確かに見たのだった。親から譲り受けた”似た力”を持つミラが、それに惑わされることなく笑いかけると、彼女はかくりと首を傾げた。

「あなた、私の言いなりにならないの?」
「ああ、そうだね。」

不思議に思った彼女が、ミラの目の前まで寄って顔を見上げると、驚いた様子ではっと口元をおさえた。
ミラは誰かの記憶の中で彼女に見覚えがあったが、彼女もまたミラに見覚えがあったのだ。

「……あなた、もしかして?」
「誰かに似てる?」
「私、カナリアよ。あなたのこと、気に入っちゃった。」

カナリアと名乗ったその人は、ミラが何を話しても嬉しそうに笑っていたが、その目が今を見ているのか、過去の日々を見ているのかは分からなかった。
柔らかく美しい髪や肌、無邪気に笑うその様子はありふれた少女と何ら違いがない。ミラがありきたりな甘い言葉を囁くと、彼女は穢れを知らない乙女のように頬を染め、愛らしい言葉を紡いだ。
ミラは、母親の記憶の中で見た狂気の目をした彼女と、今目の前にいる彼女が同じものだということが、信じられなかった。

あまりに無害そうに振る舞う少女の本当の姿を探ろうと、ミラは色々な質問をした。
この不思議な構造の施設はカナリアが作りあげたのか、研究員たちは何を目的としているのか、様々な問いかけに、彼女は良くも悪くも事実を簡潔に答えていくだけだった。

「退屈って言ってたけど、ここには君の望む全てがあるんじゃないの?」
「まさか。私はこの鳥籠に閉じこめられているのよ。」

思いがけない返事に、ミラは驚いた顔を隠せなかった。

「閉じこめられている?ここを作ったのは君なんだろ?」
「そうよ。私は私の作った鳥籠に閉じ込められて、自由に出歩くこともできないの。ミラは特別だから見せてあげる。こっちに来て。」

彼女の華奢な手がミラを手招いた。
その足はこの庭園の中央へと向かっていた。

彼女に連れられるままに巨木へと近づいていくと、手入れの行き届いた他の部分に比べ、その周辺だけ不自然な程に鬱蒼としていた。
背の高い草をかき分け、カーテンのように折り重なる蔓をくぐった先で、少女はふと足を止めた。
その光景を見たミラは、思わず目を見開いた。

そこには目の前の少女と同じ姿をした肉体があった。

それはまさに、ただ”ある”と言うのが相応しく、どこからか吹く風に揺れる髪が、閉じた瞳や青白い頬を撫でるだけで、ぴくりとも動かない。
いや、動かなかったのではなく、動けなかったというのが正しいのだろう。生きているのか死んでいるのかも判別がつかないその体は、何本もの銀の細い杭で木に打ち付けられていた。

ミラは口元を覆い、彼女の顔を見た。
彼女は静かに頷いた。

「君はここに縛られて動けないの?誰がこんなことを。」
「ここにいる人たち。おかしいでしょ?私はここにいるのに、彼らが欲しいのは私じゃなくて、私の力だけなの。」

彼女が天を仰ぎ見ると、また一筋の風がふき、巨木の葉を揺らした。
その横顔に先程までの愛らしい笑顔はなかった。

「”私”のことは忘れてしまったのよ。」

その時の彼女の表情は、あまりにも印象的だった。
うっとりと微笑むようなその顔には、悲しみ、憎しみ、絶望、諦め、全てを詰め込んで凝縮したような、得体の知れない不気味な感情が張り付いていた。

“自分”というものを作り出した憎き母、そして人々を狂わせた小鳥を、この世から消し去ること、それだけを唯一の生きる理由にしてきたミラは、彼女のその表情を見て戸惑っていた。

彼女は生きたまま死んだ。
彼女に魅せられた人々は、その神にも等しい力を欲し、やがて彼女さえも利用した。そうして人々の記憶から消えていく彼女という存在もまた、誰かの欲に翻弄されたにすぎないとすれば、その復讐に一体どれほどの意味があるのだろうか。

返す言葉が思いつかず、ミラはしばらくの間黙っていた。
その間も風は吹き、その都度植物の葉を揺らしてはさわさわと音を立てた。

「君は何を望んでるの?」
「ミラが望んでることと同じよ。私はね。そこに居る”私”はもう理性なんてないし、きっと怒ると思うけれど。」
「願いは叶えてみせるから、もう少し待っていて。」
「約束よ。」

彼女がゆるりと視線を上げ、切ない顔をして笑った。

彼女がまた、静かに歌い始めた。
過去への思いを込めた歌を、誰に届く訳でもないのにここで1人歌い続けていたのだと思うと、その歌は最初に聞いた時よりもずっと悲しく聞こえた。
彼女にとって、この美しい庭園は自分を閉じ込める檻でしかない。籠の中の鳥には全てが与えられ、何不自由無く暮らしているように見えても、決して大空に羽ばたくことはできない。

「約束やぶったら、…………許さないから」

鳥籠を出る間際、彼女の放ったその言葉は矢のように鋭く心を貫いた。