12.建国祭 前編

その広さに不釣り合いな古びた小さなランプがついている他に明かりはなく、薄暗い室内に落ちる影はぼんやりと滲んでいる。
店の奥にある、華やかでは無いが美しい装飾の施されたカウンターにミラは座っていた。そして2つ隣の席にはいつもの黒いコートの男が座っている。
ミラはその人を頬杖をついたまましばらく眺めていたが、彼は目の前に置いたグラスの中をぼんやりと覗いたまま少しも動かず、ミラの視線を気にもとめない。

ミラは、こんなにつまらない顔をして何を考えているのだろう、彼の思考を想像していた。仕事以外に取り柄のない人だから、おそらくつまらないことに違いないのだろう。それにしても感情らしい感情が全く感じ取れないのが不思議だった。
グラスの中の氷がころんと音を立てたのを皮切りに、ミラは今日伝えようと思っていたことを口に出した。

「今度の建国祭で、幹部研究員に接触できそうなんだ。」

ゲラルトは目線だけ向けたが、また元のようにグラスの中に目線を戻すだけで、表情をひとつも変えなかった。
今日仕入れたばかりのとっておきの情報を教えてあげた反応としては酷くつまらないものだと、ミラは不満げな顔をする。もっと飛びついてくるだろうと思ったのに、あまりに淡白なその反応は期待していたそれとは程遠い。

「知っている。」
「へ!?なんで、どこで聞いた?」

どこで、という問いに浅い溜息をつき、ようやく顔を上げたゲラルトの表情は浮かない。
ミラが不機嫌と拗ねているのと半々と言った表情で彼を睨む。苦労してやっと手に入れた情報だと言うのに、こんなに身近な人に先取りされていたとは面白くない。
ミラは体ごと彼の方へと向き直り、頬杖をつく肘をぐいと前に動かし、前のめり気味でゲラルトの顔を見上げる。

「その話、なんで私にしなかった?」

また短くため息をついたゲラルトは、何かを思い出すように一度目を閉じ、そしてミラをじっと見た。そこには確かに「話はしたがお前が聞かなかった」と言う気持ちが見て取れた。
そういえば数日前にゲラルトに呼び出されて話をしたとき、虫の居所が悪く話をろくろく聞かずに帰ったことを思い出したミラは、咄嗟に話をすりかえる。

「上手く取り入って、内部に連れて行ってもらえるように約束を取り付けようと思って」
「私はもっとストレートに、脅してやろうと思っていたが」
「出来るだけ波風立てずにいこうよ……」
「そうだな」

出会った時もそうだったが、ゲラルトはやり方がいちいち暴力的だ。もっと上手くやる方法はいくらでもあるのに、つくづく自分を大事にしない人だとミラは思った。

「とにかくさ、利害関係一緒、やること一緒」
「……」
「はい、」

手のひらを出しその先の言葉を促す仕草をすると、ゲラルトはまた顔を背け、ため息をついた。

「……一緒に行くか?」

ミラがパチンと指を鳴らして、親指を立てる。一方で、強引にその答えへと誘導させられたゲラルトは不満そうな表情をしていた。

「ミラ、今、建国祭へ行くと仰いましたか!?」
「わ、びっくりした。いたの?」
「いますよ。私の店ですから。」

その背後には、いつの間にやってきたのか、ホフマンが立っていた。

普段はマイペースな彼が興奮気味に話す様子を見て、ミラは本能的にそっと立ち上がり、2歩ほど彼から離れる。ホフマンのいつもと違う様子は、悪いことが起きる知らせだということを知っているからだ。
ミラがそうやって警戒しているとも知らずに、3歩先に立つホフマンは眼鏡越しに見てもわかるほどに目を輝かせている。

「建国祭は、初代国王が身分を隠して祭りに参加したという言い伝えにならって、全員が身分を隠して参加するのが習わしです。あの祭りでは普段の身分の高さは関係なく、纏うものの美しさのみがその日のその人の価値を決めるのです。つまり……わかりますね?」
「私たちは仕事をしにいくんだよ?」
「新しい、とびっきりのドレスが必要です」

ホフマンが話を聞かないのはいつものことだ。ミラは天井と壁の交わる点、つまり何も無い虚空を見上げてから、わざとらしすぎるほど無感情な顔でホフマンへと視線を戻した。

「仕事だから普通でいいよ」
「最近少しお痩せになっていますから、サイズも調整しなければなりません」
「人の話聞けって。ていうか、なんでそんなこと知ってるの」
「……? いつも触っていますから。」
「”何当たり前のこと聞いてるんですか?”みたいな反応やめてよ。そこまで分かるならもう測る必要ないんじゃない?」

ホフマンは深くため息をついてゆっくりと首を振った後、2、3歩の距離をいとも容易く詰め、ミラの両の手を自らのそれで包み込むように握った。ミラが小さく何か発したのも全く気にとめずに続ける。

「いえ、他の人ならともかく、ミラが着るドレスは少しの妥協も許されません。ですから――」
「展開が読めた」
「服を脱いでいただけますか?」

その問いかけに対する返事は必要ではなく、また、有ったところで意味を成さない。ミラの身体は、こういう時にだけ発揮される彼の得体の知れない力によってカウンターにいとも簡単に押し付けられる。ホフマンの気持ちが昂った時に現れるこの力が何なのか、ミラもゲラルトもまだ明確な答えを知らない。

興奮気味なのか、その手には普段のような繊細さが欠ける。
ホフマンはミラの耳元から首筋を撫で、やがてその手はするすると胸元へ伸び、ひとつ、ふたつとボタンが外されていく。

「口調は丁寧なくせにやってることが野蛮すぎる!隊長、気づいてるなら助けろって!」
「……それが人に物を頼む時の態度か?」
「うっざ!そういうのいいから!」
「お前もよく言うだろ」

まるで空気のように存在感を消したまま二人に目も向けなかったゲラルトが、求めに応じて渋々椅子から立ち上がった。
彼が暴走するホフマンを引き離そうと首の後ろに手を伸ばしたのとほぼ同時、ホフマンはミラの着ていたブラウスを強引に剥ぎ取り、そしてミラはそれを咄嗟にゲラルトへと投げつけた。

「やっぱり今は駄目!来んな!」
「どっちだ」
「ああもう!どうせあんたも後で同じ目にあうんだからな!」

そのままずるずると店の奥に連れていかれるミラの、八つ当たりとも言える悲痛な叫びに背を向けて、ゲラルトはまた元の椅子に腰掛け、傍に置いたグラスに手をかけた。

「……何ならもっと酷い目にあう。」

ため息混じりにそう呟いた。

光を受けて静かに反射する濃紺のドレスには銀糸で繊細な刺繍が施され、まるで今夜の満天の星空のように美しい。
庭へと続く階段をゆっくりと上がってくる男女を値踏みするように、その場にいた者達は皆その姿を一度ちらりと見、そしてまた何も無かったかのように談笑を続けた。

「ふふ、いい夜だね。獲物をとらえるのにはぴったりだ。」

美しいドレスに身を包んでも、その心までは覆うことはできない。ミラは仮面で目元が隠れていてもわかる程に、意地悪な笑みを浮かべていた。

建国祭で最も華やかな会場、仮面舞踏会。ドレスコードは「美しいこと」のみで、この会場に入れるかどうかはその身なりで決められる。
建国当時から残るこの風習は、好奇心旺盛な初代国王が意図せず作ったものだと言われているが、それが確かなことなのかどうか、今を生きる者にとっては確かめるすべもない。
確かなのは、この場所が人々にとって憧れであり、特別な存在であり、そしてミラやゲラルトのような人物にとっては格好の狩場であるということだ。

「ミラ、お前はそれ以上口を開かない方がいい」
「なにそれ、どういう意味」

その横に立つゲラルトは、ミラと対照的にひとつも表情を動かすことなく、そしてミラの方へ視線をやることも無く、淡々と言葉を吐き出した。

「黙っていれば美しい女に見えなくもない、という事だ」
「もっと普通に褒めればいいのに」
「今のは褒め言葉ではない」

ミラは少し首をかしげた。

「隊長もいつもの物騒な隊服より、今日の方がマシだよ」
「お前もホフマンもそんなにあれが嫌いか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」

普段と変わりないようなくだらない話をしながら歩く二人は、ある地点でふと足を止めた。
ミラが僅かに目配せした先、そこには一人の男が立っている。その男は特別着飾っているわけではなく、この煌びやかな会場では決して目立つ存在ではない。しかし、その姿を見るなりミラは獲物を見つけた獣のように目を光らせ、口の端をニヤリと上げて笑った。

「私は奴を落としに行くから、邪魔が入らないようにだけお願いね。」
「他にも何人か知った顔がいる。油断するな。」
「自己流でやるから、余計なことしないでね。」

返事も待たず、ミラは歩いていく。
ギラつく心の内をまるで感じさせない優雅な足取りは、ミラがこれまで相当な場数を踏んできたことを物語っている。
その背中が遠ざかっていくのを見ていたゲラルトはふと短くため息をついて、ミラが歩いていったのと逆方向へと歩いて行った。

「可愛げのない女だ。」

そのつぶやきは周りの雑談にかき消された。



ミラは、バラの香りでいっぱいの静かな庭園の中、レースのように繊細な模様の入った椅子に座り、揃いの柄のテーブルに向かっていた。
建物の中からは煌びやかな明かりが零れ、音楽や人々の笑い声が聞こえてくるが、ミラはその楽しげな空気には少しも関心がなかった。ミラはそれをぼんやりと見つめるだけで、ただ何もせずそこに座っていた。
ただ休憩をしているというわけではない。既に種まきは終わり、あとはここで待ってさえいれば、勝手に芽が出て思い通りに事が進む。ミラはその時が来るのを静かに待っていた。

ミラは生まれつき、人の好意をある程度自分に向けることが出来た。相手が魔術干渉に弱い、直接触れなければならないなどの条件が多く、そしてこれが母親譲りの特性だと知っているミラはこの力を滅多に使おうとはしない。そもそもそんな力を使わずとも、相手を騙し、自らの手中で踊らせることなど容易いことだった。
今日は特別な日。ミラは躊躇いもなくその力を使って、ターゲットの気を引いたのだった。

やがて、少し忙しない足音が近づき、ミラの目の前で止まった。

「お嬢さん、おひとりですか?」
「うふふ、おふたりに見えるかしら?」

ミラがゆったりと顔を上げると、そこには例の男が立っていた。会場から消えたミラを探し回っていたのだろう。男はミラが他の誰とも一緒に居なかったのを見て、安堵したように大きく息を吐いた。

男の安堵とは裏腹に、ミラの気持ちはひどく冷たかった。
目の前の男には人としての価値など全くない。研究所の内情を知り、その記憶を保持したまま外へ出られる立場にあるということだけが、唯一の価値だった。
その内心も知らないでいとも簡単に魅了され、こんなにも狙い通りにミラを探し求めているその姿は、愚かとしか言いようがなかった。そうさせたのは自分の力のせいだと知りながらも、ミラはその男のことを酷く軽蔑していた。

ミラは心の内を悟られないように、機嫌よく笑った。

「貴女を見かけた時から気になって。でもさっきは取り巻きがたくさんいましたから。」
「私のドレスが美しいからって、ねえ。」
「いえ、美しいのは貴女です。」
「嬉しいわ。」

男が突然、グラスを差し出した。
ミラがそれを覗き込むと、その中にはシャンパンらしきものが入っていて、ピンク色をした花びらが浮かんでいた。それは季節外れの薔薇の花びらだった。

「一緒にどうです?」
「うふふ、素敵ね。」

ミラはそのグラスを受け取り、ゆっくりと回してその匂いをかぐと、僅かに薔薇のいい香りがした。
穏やかに微笑む男に促されるようにしてミラがグラスに口をつけると、それは想像していたよりも甘く、そして後からほろ苦い味が舌の上に広がった。
ふと二人は目が合い、じっと見つめあったあと、静かに笑いあった。

「洒落たことをなさるのね。」
「いえ、とある人の真似をしただけです。」

ミラはその話の先を促すように、黙って少し首を傾げてみせた。

「私が仕事をしている研究所に薔薇園があって、以前はそこでよく茶会が開かれていたんですよ。」
「薔薇園?まあ素敵!私も行ってみたいわ。」
「……。構いませんよ。すぐお連れしましょう。」

男は不自然なくらいに上機嫌に笑い、ミラの目を真っ直ぐに捉えた。少し違和感を持ったミラがその瞳の奥を覗き込むと、そこには誰も気付けないくらい小さな深い深い闇が静かに佇んでいた。男は驚くミラの様子を見て、また笑った。

舌に残る苦み。
それに気付いた時には強い眩暈がミラを襲った。

「随分と無防備なんだね。過信し過ぎじゃないかな?」
「……お前、私のこと」
「ほんの少し眠るだけだから、安心して……――」

ほんの些細な油断、歪む景色のその先で、男はとうに捨てたはずの”彼女の名”を呼んだ。