03.彼の目に映るもの 中編

ミラはあの日以来、ずっとあの店のことが気になっていた。
不審なことが多すぎる、そう思って調べれば調べるほど不審さは増していくばかりだ。今は、本来の仕事をそっちのけにしてまであの店のことを調べて回っている。

何しろ、気味が悪いほどに何も情報がない。
本人曰く祖父の代から歴史があって腕もいい、そして店主があの強烈な個性とくればどこかで噂になっていてもよさそうなのに、どれだけ聞いてまわっても調べてまわっても、店の経歴もホフマン自身の経歴もつかめない。あらゆる情報が意図的に消されたかのようにどこにも存在しなかった。

ミラに招待状を渡したあの女性なら店に足を運んだ日の様子のことを話してくれるだろうと思い話を聞きに行ったが、返ってきた答えは意外なものだった。
招待状をくれたあの日にはあれほど気に入った様子で話していたのに、仕立てたドレスなんていくらでもあるからいちいち覚えていないと、まるであの店でドレスを仕立ててもらった記憶がこの数日の間にすっぽり抜け落ちてしまったかのような態度に変わっていた。
物と金に溢れた世界で生きる人にはその程度の感情だったのかもしれないが、それにしても不自然で、ミラは納得ができなかった。

結局新たに得られた情報は何ひとつ無く、ミラの手元にあるのはホフマンが喋っていた内容、あの日店の中で見たもの、垣間見た記憶の断片だけだった。
ホフマンの過去の中で見た「白い封筒」が、ミラが持っていた招待状と同じものだったのは間違いない。自分が手にしていたときには大して気にしていなかったが、記憶の中の彼の行動や言動から考えるに、恐らくあれは、彼にとって何か重要な意味を持つものだったのだろう。手書きの文はそれだけで強い思いが刻み込まれるものだが、ミラはそういった範疇を越えた何かを感じ取っていた。
ペンを走らせるたびに感じとれた呪いにも似た強い力。魔術師の端くれであるミラにも全く理解できないその力は、ミラ自身も持つ超能力の類か、あるいはもっと別の何かにも思えた。

根拠はまだ無い。
ただ、垣間見たホフマンの表情が頭にこびりついて離れないのだった。

カチカチと秒針が時を刻む音だけがこの空間を支配し、どれほどの時間が経ったのだろうか。
ミラは机に足を上げた状態で椅子に座り、ぴくりとも動かずに考えを纏めて続けていた。正しく言うと考えはおおよそ纏まっているものの、どうしても無視することのできない点がいくつかあって、それを解決するべく思考を巡らせているのだった。

彼があの店で一体何を目的として仕立て屋をしているのか、そこに納得できる理由が見つからないものだから、いつまで経ってもモヤモヤしたまま前へ進めない。

「これといった情報もないし、詰んだかなー。」

ぐっと伸びをしながらそう言うミラは、口では詰んだと言う割に大して困った表情ではなく、むしろ口の端を上げて笑っていた。

「こういうときはアレだな、とっておきの、アレ。」

そう言うと、勢いよく椅子から立ち上がり、喉の奥で笑ったような音を立てて部屋を後にした。

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「こんにちわー。店主さん、いらっしゃるかしら?」

今日もカーテンで外界の光を中に入れないあの怪しい店に、似つかわしくないほど明るい声が響いた。

「…あの、さすがにまだ仕上がってませんよ。」

店の奥からゆっくり現れた店主ホフマンは底抜けに明るい笑顔で入店してくるミラに対し、若干の苦笑いで答えた。

「あら、そんなことはわかっているわ。でも居ても立ってもいられなくって。作ってるところ、見ていてもいいでしょう?ほら、美味しいお菓子も持って来たのよ。」

前回来店したときとは形勢逆転といった風で、ミラはホフマンの苦笑を全く意に介することもなく言い放ち、つかつかと歩み寄って長身のホフマンを見上げた。にこりと笑い、手に持ったバスケットを少し持ち上げて見せると、中には色とりどりのマカロンが入っている。ホフマンは一瞬何か言おうと唇を僅かに動かしたが、ミラの熱意に負けたのか、もしくはマカロンの誘惑に負けたのか、その要求を渋々ながら受け入れた。
ここに、ミラが性質の悪い情報屋と言われる二つ目の理由がある。「困ったときは強行突破」が彼女のモットーで、同業者にとっても調べられる側にとっても迷惑極まりないからだ。

ミラは作業中のホフマンから少し離れたところに座ってしばらく世間話を続けていた。お菓子の話や服の話、チェスについてなど、話題は一定だったわけではないが、別段不思議な点もなくごく普通の会話が成立していた。互いにその会話の内容に特別興味があるわけでもなく、時間が過ぎていく。
やがてホフマンが作業のほうへ没頭し言葉数が少なくなっていくのを見て、ミラはそっと席を立った。

音を立てないように、別の部屋へ。

どの部屋も清潔感は保たれている。正しく言えば生活感がないから汚れたような様子もないのだが、仕立て屋という職業柄なのか、物は多いようだ。それらの中には古びたものも多く、そのうちのどれが一番有力な情報を得られそうなものなのか、ミラには検討もつかなかった。

「少し時間をかければ何らかの情報は手に入るかな。ほんと無防備だよなぁ…。」

ミラは適当に目に入ったノートを手にとって開け、ページをぱらぱらとめくっては棚に返すという作業を何度も繰り返す。
古びたノートやファイルは山のようにあるものの、どれもデザイン画ばかりで、顧客の名簿や彼自身の日記、記録などは見当たらない。残された記憶もデザイン画を書いたときの様子くらいのもので、大した情報は得られなかった。
カーテン越しにも外が暗くなっていくのを感じる。ミラの心には焦りが募り始めた。

「でも確かに、あの男は人の記憶を消してるはずなんだ。」

まるで自分の考えは正しいのだと言い聞かせるかのように、ミラは誰にも聞こえない独り言をぽつりと呟いた。
ホフマンは招待状を鍵にして、依頼人の記憶を消し、再びここへ来ることができないようにしている。ミラは少ない情報からこのような推測へ行き着いていた。不自然なほどに店の情報が無いこと、ミラがここに来る切欠となった女性の態度の豹変振り、あの招待状が書かれたときのこと、全てに説明をつけるにはそれしか思いつかなかった。

服を渡し、お金を貰い、すべてのやりとりが完了した上で記憶を消す。金銭を騙しとるなどの利益があるわけでもない、それどころか固定客がつかないそのやり方は、仕立て屋として不都合にしか思えない。

「絶対何か理由があるはず。忘れさせなければいけない理由が…」

とは言うものの、それらしきものが見つかるわけでもなく、ただ時間だけが無為に過ぎていく。
ミラは短いため息をついて、手にしていたノートを机の上に乱雑に置いた。ふと視線を落すと、今までノートやファイルなどに気を取られていて気付かなかったが、おそらくホフマンが愛用しているのであろう手入れの行き届いた裁ち鋏が置かれていた。
長年使い続けてきたものの持つ特有の、妙な存在感。ミラは魅入られたようにそれに手を伸ばしていた。

その瞬間。

シャキ、シャキ と鋭い音を立てて布を裁つ
今と変わらない ずっと変わらないその光景

少年の面影を残したその青年は
不自然なほど

ずっとその生活を続けている

電源の切れた画面のように
突然、世界は真っ暗になった。

長く長く 続く黒
その先、ほんの少し歪が見えて

彼はふと目を開けた

視界の中は全て赤。

「貴女の居なくなった世界で生きる意味なんてないんだ…」

男の他には誰もいない 暗い小部屋
震える手には鋭い鋏が握られていて 感じるのは狂気 狭い部屋を覆いつくすほどの、狂気。

その一言はずしりと重たく、誰にも届かないまま落ちていく
男は髪も服も乱れたままで 人間らしい生活から離れて暫く経っていることが窺える
歳は20半ばだろうか でも確かにその声色は彼のもの

「カミラ…」

それだけ呟くと、彼は手に持った鋏を自分に向けて

鈍い音が響いた。

トルソーに飾られたあまりに美しい真っ白なドレス
その前に立つ男の表情は、きらきらと眩く輝くようなドレスとは対照的

うつむき加減で呆然と立ち尽くす姿から感じ取れるのは、愛情と絶望
混ざり合って渦巻いて止まらない感情

その先にあるのは狂気。

立ち尽くす男の顔は強ばり、俯いたまま瞬きひとつしない

「……結婚って、本当に?」
「ええ、そう。あなたに1番に報告しなきゃと思ってね。」
「ああ、そうですか、それは……おめでとう。」

振り絞るように紡いだ祝福の言葉
男がふと顔を上げると
彼女の表情はとても印象的だった

「彼女、最近おかしいの。ごめんなさい。私のせいだわ……。」

そう言った女の姿は酷く疲れていた

俯いたまま一瞬たりとも目を合わせないその人は
男が返す言葉を探す間に ふとどこかへ消え去った

がしゃん、と大きな音がした。
手入れの行き届いた裁ち鋏の刃が床に転がったまま、その傍で膝をついて荒い息を繰り返すミラを「不用意に覗き見るからだ」とあざ笑うかのようにぎらりと光っている。
ミラはこれまで色んな記憶を覗き見てきたが、今見えたものはそれらもは全く異なる、不可解で歪で、狂気に満ちたものだった。

―― 死んでいた、あいつは。それに……

頭を抱えるようにしてうずくまっているミラは、近づいてくる足音を聞いた。
扉が開いて姿を見せたのは、当然のことながらホフマンだった。大丈夫ですか、と言ったような短い問いかけをしたようだったが、今のミラにとってその存在は恐怖でしかない。視界に入ってきた瞬間に一度大きくびくりと身体を跳ねさせたあと、瞬きひとつしないで睨みつけるようにその姿を見つめていた。

「お客様、どうされました? 一体何が、」
「君、歳はいくつなの。」

ミラはホフマンの言葉を遮るようにして、突然問いかけた。

「どうされたのです、いきなりそのような質問を…。17だったかと思います。」
「彼女とはどういう仲なの。」
「彼女?申し訳ありませんが、何方のことを仰っているのかわかりかねます。」
「彼女だよ。白い……ウェディングドレス、作ったんだろ?」
「いえ、ウェディングドレスを作ったことは一度も。イブニングドレスの間違いでは。」
「確かに君は作ったことがあるはず。それでその後、」
「…?」

ミラは次の質問を声に出そうとした。しかし、なぜここまでしてホフマンが自分の正体について誤魔化す必要があるのだろうと思った瞬間、ふと躊躇いが生じ言葉をつっかえた。聞きたくない、真相を知りたいという2つの間を彷徨って、ミラは曖昧な問いを発した。

「君は、何で生きてるんだ…?」

ゆっくりと首をかしげるようにしながら、ホフマンはじっとミラを見つめていた。見つめているような素振りをしているのであって、しっかりと視線が合っているわけではなかったが、そこには僅かに戸惑いの表情が見られた。

「何で、ですか。そのようなことは今まで考えたことも御座いません。ですが、強いて言えば、好きな服を作るためございます。」
「違うんだ、そうじゃない。何でっていうのはそういうことじゃなくて」
「然様でございますか。それでは一体、その問いの真意とは何でございましょう。」

ミラは俯き、言葉を探していた。
その問いの真意とは。聞きたいのは生きていく上での目的ではなく、一度死んだはずの人間が何故ここに存在しているのかということ。ただ、それを口にするのが怖かった。

「誤魔化さないで。私は君のこと、気付いているんだからね。」
「申し訳ありませんが、先ほどからお客様が何を仰っているのか、私には理解いたしかねます。」

ミラがふと顔を上げると、ホフマンはとても困った様子でじっと質問の意図を考え込んでいた。その様子は誤魔化しているとか騙しているとかそんな風ではなくて、本当に純粋に質問の意図するところがわからず戸惑っているという風だった。ミラは始めてホフマンの表情らしい表情をみた気がして、はっとした。

この男のことを疑い過ぎていたかもしれない。ミラのなかでばらばらに散っていた情報の欠片たちが、集まって徐々に形を成していく。
不自然なほどに情報が残されていなかったこと、ホフマン自身が質問の意図を理解していないこと、全ては最初にミラが立てた「記憶の削除」という推測に上手くはまっていくようだった。
なぜ他人の記憶を操作して自分のことを忘れさせるのか、理由はわからない。しかし、ミラはひとつだけ確かな答えを見つけた。

「君は、もしかして…」

ミラの声はかすかに震えていた。
大切な人を失って空いた穴は死んでしまうほど辛く、彼は一度全てを投げ出した。しかしその思いはあまりに強く、今もこうしてその歪がここに確かに存在している。

「自分の記憶も全部、消してしまったんだね……?」 

この世の中の誰も彼のことを覚えていない。
彼自身ですらも。

ミラの頬を、涙がつたっていった。